自動車メーカーにとって、ユーザーが自社をどのようにイメージしてもらえるのかを考えることは大切だ。その方法として、多くのブランドがモータースポーツでの活躍ぶりをアピールすることを採用している。数々の栄冠を獲得した「ラリーアート」のスピリットを甦らせることに、三菱自動車はようやく取り掛かったようだ。(Motor Magazine 2022年12月号より)

※記事初掲出時、記述に無断転載部分があったため、著者に許諾を得て修正いたしました。(2022年12月1日)

何がクルマを強くしたのか、いま必要なのはその精神

「後席は、とんでもないことになるかもしれませんよ」

2022年11月にタイ〜カンボジアで開催されるアジアクロスカントリーラリー(AXCR)2022に参戦する「チーム三菱ラリーアート」トライトン試験車のドライバーを務める同社システム実験部の小出さんが言う。

画像: 上下動の激しい岩だらけのオフロードを高速で走破。トライトンが備えるタフネスを思い知らされる同乗試乗だった。

上下動の激しい岩だらけのオフロードを高速で走破。トライトンが備えるタフネスを思い知らされる同乗試乗だった。

ラリー本番用の車両はすでにタイで過酷なテストを行っており、これから同乗試乗するのは、開発用のテスト車である。会場はヒルクライムやモーグルなど、多彩な難コースを備える富士ケ嶺オフロードだ。

スタートしてすぐ、いきなり猛スピードで急峻なヒルクライムに挑む。車体は上下左右に激しく揺れるが、トライトンは涼しい顔でラフロードを突き進む。驚くほど速い。助手席の自分は座っているだけなのでまだしも、後席のカメラマンは、カメラと身体を激しく揺さぶられながら、必死にシャッターを押そうともがいている。

三菱自動車とラリーアート、その関係を部外者が正確に知るのは簡単ではないが、かつて三菱自動車に在籍して、ラリーアートとともに数々の同社モータースポーツ活動の推進に携わった中田由彦氏がその創生期からの事実関係を丹念に取材して記録した著作『New history begin ~The Spirit of Competition ラリーアートの帰還』(Kindle版)に、次のような記述がある。

「壊れたら、壊れないクルマを作ればいい。勝った数より負けた数の方が多い。その負けが三菱のクルマを強くした」

これは、今からおよそ20年以上前の新聞に掲載された三菱自動車の広告の一文だ。そして、そう語ったのは同社のモータースポーツ活動を初期からプロモーションし、乗用車商品企画部長、そして当時は株式会社ラリーアートの社長を務めていた北根幸道氏である。この精神こそ、多くの三菱車が備える基本的資質だと今さらながらに思う。

ワークスチームとしての復活を期待させるトライトンの走り

ラリーアートは、三菱自動車のモータースポーツ事業会社として1984年に設立され、国内外でのモータースポーツ活動を通じて三菱自動車のクルマを常に進化させる存在として、メーカーだけではなくユーザーやファンの拡大にも大きく貢献した。しかし、モータースポーツ活動の縮小に伴い2010年に事業を停止。

画像: 「チーム三菱ラリーアート」総監督を務める増岡浩氏。 2002年、2003年のダカール・ラリーで2連覇を果たす。

「チーム三菱ラリーアート」総監督を務める増岡浩氏。 2002年、2003年のダカール・ラリーで2連覇を果たす。

そこから11年あまりが流れた2021年11月に、新生ラリーアートが復活。日本国内では、2022年3月からラリーアートブランドによるアウトランダー/エクリプスクロス/RVR/デリカD:5用のアクサセリー用品の販売が開始された。

そして、同社の収益で大きな柱となる東南アジア市場では、冒頭に記したAXCR2022に現地チームが運営する「チーム三菱ラリーアート」が参戦、その総監督として増岡浩氏が参画、開発部門エンジニアがチームに帯同してテクニカルサポートを行うという体制となった。

悪路走破性と耐久性に優れたトライトン。しっかりと結果を出し、将来の正式な三菱ワークスチームとしてのラリーアート復活につながることを、大いに期待したい。(文:Motor Magazine編集部 香高和仁/写真:伊藤嘉啓)

お詫びと訂正について

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