2024年8月2日、ホンダは1964年8月2日に行われたドイツGPでのF1初参戦から60年を迎えたが、その挑戦は必ずしも栄光ばかりではなく、苦戦を承知の上でのチャレンジでもあった。2000年から始まった第3期の挑戦はエンジン供給および車体の共同開発という新たなスタイルだった。

オールホンダとして39年ぶりの優勝

1992年の撤退から8年の時を経て、2000年にHondaはF1へ復帰する。「車体製造も含めたフルワークス参戦」を掲げたが、社内からの反対もあり、発足したばかりのブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR)と、エンジン供給に加え車体の共同開発を行う形での参戦となった。

しかし8年ぶりに戻ってきたF1は飛躍的な進化を遂げており、ホンダのF1エンジンは、世界の大勢から完全に遅れてしまっていた。BARホンダは3年間で表彰台はわずか2回、コンストラクターズ選手権でも低迷した。

それでも徐々に戦闘力を上げていたが、2006年を最後に全面禁止されることになり、ホンダがBARチームの株式段階的に取得し、2005年秋にはホンダが全株式を取得。1960年代の第1期以来となる、念願のフルワークス参戦が2006年から始まった。

Honda Racing F1 Teamという正式名称のもと、オールホンダとして再出発した2006年、早くも歓喜の瞬間がやってくる。

シーズン前半こそ苦戦を強いられたものの、中盤以降戦闘力を回復。8月の第13戦ハンガリーGPで、予選14番手からスタートしたジェンソン・バトンが波乱の展開を制して、オールホンダとして39年ぶりの優勝を果たした。

画像: 2006年第13戦ハンガリーGPでホンダに優勝をもたらしたジェンソン・バトン。悲願のタイトル獲得に向けて一気に進むかと思われたが。

2006年第13戦ハンガリーGPでホンダに優勝をもたらしたジェンソン・バトン。悲願のタイトル獲得に向けて一気に進むかと思われたが。

■ホンダ RA106/RA806E(2006)

全長×全幅×全高:4675×1800×950mm
ホイールベース:3145mm
トレッド前/後:1460mm/1420mm
車体構造:カーボンファイバーモノコック
サスペンション:プッシュロッドトーションスプリングダブルウイッシュボーン
トランスミッション:ホンダ製7速セミオートマティック
エンジン:ホンダ RA806E
排気量:2400cc
形式:90度V型8気筒NA
最高出力:700ps以上
燃料供給方式:PGM-FI

チーム再建途中で無念のF1撤退、みすみす栄光を失う

辛抱強く続けたエンジン改良、車体の共同開発、そして最新鋭風洞の建設に象徴される大規模な設備投資と、地道に打ってきた布石が実を結んだが、翌2007年にはスーパーアグリF1チームにもエンジンを供給したものの、再び深刻な不振に陥った。

そこでホンダはフェラーリ黄金時代の立役者ロス・ブラウンをチーム代表に起用。2008年からチームを率いたブラウンは「1年目は欠点を洗い出し、技術規約が大きく変更される2009年シーズンに勝負をかける」作戦で、シーズン中盤で早くも2008年マシンの改良を打ち切り、翌年に向けてのマシン開発に注力した。

しかしそんな中、2008年12月5日、福井威夫社長(当時)が緊急記者会見を開き、F1からの撤退を表明した。サブプライムローン問題に端を発した世界的な金融危機で、業績が悪化したため、経営資源の効率的な再配分が必要という説明だった。ブラウンがチーム代表に就任してからはチーム力は着実に上がっていた。

チームはブラウンに譲渡され、2009年に向けて開発を進めていたマシンも引き継ぎ、メルセデスエンジンを搭載したマシンBGP001で快進撃を見せてタイトルを独占した。さらに翌2010年には、ブラウンチームはメルセデスに売却され、現在に続くメルセデスF1チームへと続いて行く。

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