オールホンダとして39年ぶりの優勝
1992年の撤退から8年の時を経て、2000年にHondaはF1へ復帰する。「車体製造も含めたフルワークス参戦」を掲げたが、社内からの反対もあり、発足したばかりのブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR)と、エンジン供給に加え車体の共同開発を行う形での参戦となった。
しかし8年ぶりに戻ってきたF1は飛躍的な進化を遂げており、ホンダのF1エンジンは、世界の大勢から完全に遅れてしまっていた。BARホンダは3年間で表彰台はわずか2回、コンストラクターズ選手権でも低迷した。
それでも徐々に戦闘力を上げていたが、2006年を最後に全面禁止されることになり、ホンダがBARチームの株式段階的に取得し、2005年秋にはホンダが全株式を取得。1960年代の第1期以来となる、念願のフルワークス参戦が2006年から始まった。
Honda Racing F1 Teamという正式名称のもと、オールホンダとして再出発した2006年、早くも歓喜の瞬間がやってくる。
シーズン前半こそ苦戦を強いられたものの、中盤以降戦闘力を回復。8月の第13戦ハンガリーGPで、予選14番手からスタートしたジェンソン・バトンが波乱の展開を制して、オールホンダとして39年ぶりの優勝を果たした。
■ホンダ RA106/RA806E(2006)
全長×全幅×全高:4675×1800×950mm
ホイールベース:3145mm
トレッド前/後:1460mm/1420mm
車体構造:カーボンファイバーモノコック
サスペンション:プッシュロッドトーションスプリングダブルウイッシュボーン
トランスミッション:ホンダ製7速セミオートマティック
エンジン:ホンダ RA806E
排気量:2400cc
形式:90度V型8気筒NA
最高出力:700ps以上
燃料供給方式:PGM-FI
チーム再建途中で無念のF1撤退、みすみす栄光を失う
辛抱強く続けたエンジン改良、車体の共同開発、そして最新鋭風洞の建設に象徴される大規模な設備投資と、地道に打ってきた布石が実を結んだが、翌2007年にはスーパーアグリF1チームにもエンジンを供給したものの、再び深刻な不振に陥った。
そこでホンダはフェラーリ黄金時代の立役者ロス・ブラウンをチーム代表に起用。2008年からチームを率いたブラウンは「1年目は欠点を洗い出し、技術規約が大きく変更される2009年シーズンに勝負をかける」作戦で、シーズン中盤で早くも2008年マシンの改良を打ち切り、翌年に向けてのマシン開発に注力した。
しかしそんな中、2008年12月5日、福井威夫社長(当時)が緊急記者会見を開き、F1からの撤退を表明した。サブプライムローン問題に端を発した世界的な金融危機で、業績が悪化したため、経営資源の効率的な再配分が必要という説明だった。ブラウンがチーム代表に就任してからはチーム力は着実に上がっていた。
チームはブラウンに譲渡され、2009年に向けて開発を進めていたマシンも引き継ぎ、メルセデスエンジンを搭載したマシンBGP001で快進撃を見せてタイトルを独占した。さらに翌2010年には、ブラウンチームはメルセデスに売却され、現在に続くメルセデスF1チームへと続いて行く。