マツダ コスモスポーツ<L10A型/1967年(昭和42年)>
平成初期には「ロータリーパワー」と呼ばれ、その目覚ましい動力性能や低公害の魅力によって、評価が定着した感のあるロータリーエンジン(以下、RE)だが、REを開発したドイツのNSU社から東洋工業(現在のマツダ)がいち早く技術導入、マツダ技術陣が必死にその実用化に取り組んでいた昭和35~45年(1960年代)は、まだまだREは「海のものとも山のものともわからない」存在であった。

コスモスポーツの透視図。エンジンスペースはごくわずか。それを活かしたフロントミッドシップはRX-8まで継承されていく。
コスモスポーツはようやく実用化にこぎつけた「国産では初めてのRE搭載モデル」であった。またそれと同時に、なじみの薄いREをユーザーにアピールするためのデモンストレーション カーという役割も備えていた。
NSU社がREの開発成功を発表したのは昭和34(1959)年12月のこと。さっそく東洋工業が技術導入の交渉に乗り出し、契約の仮調印を行ったのが35年10月、正式調印が36年2月だった。REの国産化がスタートしたまでは良かったが、当時のREはまだ技術的に問題が多く、そのまま実用化、市販化とはいかなかった。本家のNSU社でさえRE搭載の第1号車、NSU バンケルスパイダーを発売したのは昭和39(1964)年11月のことである。
東洋工業でも昭和36(1961)年11月には試作第1号エンジンを完成させたが、一定時間運転すると急激な性能低下をきたすなど、その製品化は難航した。38年10月の第10回 全日本自動車ショーには1ローターと2ローターのREの単体が出品されたが、性能低下の問題はまだ解決されておらず、とても完成品と呼べるものではなかった。
REを搭載した2シーターのスポーツクーペ、コスモスポーツの「正式デビュー」は翌昭和39(1964)年9月の第11回 東京モーターショーであった。「正式」というのは、前年のショー会場に当時の東洋工業社長の松田恒次氏を乗せた2シータースポーツモデルが姿を見せていたからである。これがプロトタイプのコスモで、したがってコスモスポーツのデビューは正確には「正式デビュー」の1年前、昭和38年10月ということもできる。
