歴代シビック タイプRの開発者に「いまだから語れる開発の舞台裏」と題して、独占インタビューを敢行。計6回の短期集中連載をお届けすることとなった(毎週金曜公開)。その第4回は2001年8月に発売されたシビック タイプR(EP3型)の開発責任者を務めた蓮子末大氏に、その開発の舞台裏をうかがった。
画像: 【連載・第4回】ホンダ シビック タイプR(EP3)いまだから語れる開発の舞台裏 開発責任者 蓮子末大氏インタビュー

PROFILE
蓮子末大 Suehiro Hassi
シビック タイプR(EP3) 開発責任者

1972年、(株)本田技術研究所入社。入社以来、初代プレリュード、2代目、3代目シビックのサスペンション設計を担当。その後、完成車研究開発部門で初代CR-Vなどの先行研究LPLを経て、商品企画を担当。さらに7代目シビックのプラットフォーム開発LPLを経て、欧州3ドアシビックとシビック タイプRのLPLを務める。2014年に退社。趣味はゴルフ。

シビックのフラッグシップとして欧州でタイプRを導入

画像1: シビックのフラッグシップとして欧州でタイプRを導入

「1990年代後半、初代のシビック タイプRはリッター116㎰を誇る1.6LのDOHC VTECエンジンを搭載していました。ユーザーからの評価は高かったんですが、これは日本市場だけの限定モデルなんです。

2代目のタイプRは3ドアのハッチバックでデビューしました。しかし、付加価値がないと日本では3ドアは売れない時代になっていました。でもヨーロッパは違います。Cセグメントの3ドアは、市場の約3割を構成していたのです。だから日本での生産をあきらめ、イギリスで3ドアモデルを造って売ることを決めました。5ドアモデルは軸足を日本に置き、ヨーロッパでも発売。また、4ドアセダンは日本と北米、そして東南アジアで展開しました」

その当時、ヨーロッパ向けの3ドアモデルと2代目シビック・タイプRのラージ・プロジェクト・リーダー(LPL)を務めた蓮子末大さんは、開発の経緯をこう語り始めた。

画像2: シビックのフラッグシップとして欧州でタイプRを導入

「ヨーロッパは有望な市場なのですが、当時のヨーロッパではホンダのシェアは低く、シビックブランドをヨーロッパで売るためには、プレゼンス、存在感を高める必要がありました。そこでタイプRをシビックのフラッグシップと位置づけ、ヨーロッパで発売することにしたのです。

正式にタイプRをヨーロッパに出すのは、ホンダとして初めての試みでした。だから主役となる3ドアモデルを含め、ヨーロッパの人たちに受け入れられるように、いいものを造ろうと頑張りました」

シビックは2000年秋にモデルチェンジを行い、7代目のEU/ES型シビックが誕生した。最大のニュースは、長年に渡って主役を張っていた3ドアモデルが日本では整理されたことだ。7代目は5ドアのハッチバックと4ドアセダンのフェリオ(ES型)で船出している。

EU型を名乗る5ドアモデルはパッケージングの革新を行い、広いキャビンを手に入れた。快適な低床フラットフロアを採用し、利便性を良くするためにウォークスルーも実現している。また、ホイールベースも2680㎜と超ロングだ。

「欧州シビックは97年くらいに開発が本格化しました。その頃からおぼろげにタイプRの構想はあったのです。日常ユースとサーキットでも走れるスポーツモデルにしようと思いました。ヨーロッパはアベレージスピードが高いし、距離も走るから、快適で疲れないクルマにしたかったのです。

タイプRは開発を2、3カ月ほど延長して、最後にニュルブルクリンクや周辺の道路を走り込んで仕上げました。アウトバーンで速く、しかも快適に走れるクルマにしたかったのですが、やはりとても難しかったです。サスペンションだけでなくパワーステアリングの味付けにも苦労しました。ヨーロッパはスピードレンジが高いから、トレース性が大事なんです」

日本にタイプR導入の予定はなかったのだが…

画像: 欧州仕様のシビックタイプRよりはハードに、しかしインテグラタイプRまではいかない絶妙な足まわりのセッティングとした。それでもサーキットではインテRと互角の走りを見せたという。

欧州仕様のシビックタイプRよりはハードに、しかしインテグラタイプRまではいかない絶妙な足まわりのセッティングとした。それでもサーキットではインテRと互角の走りを見せたという。

当初、シビックのタイプRはヨーロッパだけに展開し、実は日本で発売する予定はなかった。しかし、7代目シビックを栃木のテストコースで日本のモータージャーナリストに乗せたときに、タイプRの運命は大きく変わる。この試乗会のとき、3ドアのベースモデルを展示したが、これに彼らが群がったのだ。

あまりにも反響が大きかったため、懇親会の席上で、吉野浩行社長は「欧州向けの3ドアモデルを日本でも発売します」と、口走ってしまった。慌てたのは開発陣である。インテグラのタイプRが2代目に生まれ変わるため、シビックのタイプRはヨーロッパ専用モデルになり、日本向けはないと聞かされていたからだ。社長のトップダウンにより、急きょ、日本仕様を出すことに方向転換した。

欧州でのシビックのプレゼンスを上げるために
まずはシビックタイプRの欧州発売が決まりました。
日本への導入は当時の社長の一言がきっかけです。

「3ドアのベース車を出すことも検討しましたが、『せっかく出すならタイプRだろう』となり、開発を進めました。インテグラと棲み分けするため、そのころのヨーロッパのCセグハッチバックを研究しました。

しかし、テストコースで役員や評価委員に試作車を運転させると、ほとんどの人が『このクルマはタイプRじゃないよ。無理に棲み分けしないで日本人好みのタイプRを造れ』と言われました。NSXと違って、インテグラとシビックは量産の普通のクルマです。なのですが、これをサーキットで速く走らせることに真剣になるのがホンダなんです」

シビックが7代目へとモデルチェンジするのを機に、走り屋たちに好評だった初代シビック タイプRは姿を消した。しかし、2001年10 月に沈黙は破られる。新しい衣装をまとって2代目のタイプRが復活したのだ。その3カ月前、インテグラが新世代に生まれ変わり、このときにタイプRも第2世代のDC5型に移行した。だから多くの人は、同じ時期にシビックにタイプRが加わるとは思っていなかったのだ。これはホンダスポーツカーファンにとってはうれしい誤算だった。

「日本仕様の開発がゴーになってからは、いっそう開発陣の士気も上がりましたね。欧州向けモデルからガラッと足まわりの味付けを変えました。ヨーロッパ仕様はアウトバーンのパッチ路でもしなやかに走れるような味付けです。これに対し日本向けのタイプRのサスペンションは、欧州向けよりも締め上げました。サーキットはもちろんですが、ワインディングロードで気持ち良く走れるように、応答性を高めているのです」

第2世代のタイプRは、EP3の型式で登場する。シビックで育ってきた人たちを感動させたのはボディタイプだ。シビックの代名詞ともいえる3ドアモデルを復活させたことを高く評価した。この3ドアのタイプRは、ヨーロッパモデルをベースに、日本仕様にアレンジしたものだ。イギリスで生産を行い、日本に運ばれてくる。

画像: 欧州でのシビックのプレゼンスを上げるために まずはシビックタイプRの欧州発売が決まりました。 日本への導入は当時の社長の一言がきっかけです。

ヨーロッパ育ちの素性を生かしながら
サーキットもワインディングも一体感を
味わえる絶妙なセッティングにしました

人間中心の発想からインパネシフトを採用

グローバル・コンパクトプラットフォームを採用した2代目は、初代タイプRよりボディサイズが小さい。全長とホイールベースは50㎜短縮されている。フロントのオーバーハングも55㎜詰めたショートノーズだ。鼻先を短くすることにより、ステアリング操作に対する優れた回頭レスポンスを手に入れた。

このシビックはダイナミック・キャビンフォワードエクステリアと呼ぶ個性的なフォルムが特徴だ。キャビンを前進配置とし、ショートノーズから鋭角に立ち上がったラインがリアに向かって滑らかなカーブを描く。先代と比べると全高は50㎜高い1430㎜だが、キュートなデザインだ。ヒップポイントも30㎜高くして、良好な視界と優れた乗降性を実現した。

「エクステリアのキャッチフレーズは『ニュービュレットフォルム』です。弾丸をイメージしたスポーティなフォルムで、タイプR専用のデザインを施しました。ホイールとタイヤもサイズアップしており、スパルタンテイストあふれる精悍なデザインに仕上げて、明快な個性を主張しています。

インテリアは5ドアに準じたデザインですが、タイプRらしさを積極的に盛り込んでいます。コクピットは、アルミ削り出しのシフトノブをインパネに配するレイアウトにしました。インパネシフトは、先行開発のときに人間中心のクルマを、ということで始まりました。使いやすい方がいいだろう、と考え、フロアではなくステアリングから近いインパネ中央に持っていったのですが、きわめてクイックな変速操作ができて、実際ユーザーからも好評でした」

タイプRならではの装備としては、ホールド性に優れたレカロ社製の真っ赤なフロントバケットシートやモモ社製の本革3本スポークステアリング、赤い指針の3連ホワイトメーターなどがあげられる。見た目もスパルタンムードにあふれていた。

画像: 人間中心の発想からインパネシフトを採用
画像: インパネ配置の6速MTは、シフトノブ形状、ストローク、操作荷重に至るまできめ細やかにチューニング。ステアリングからの手の移動距離が少なくて済むため、スムーズなシフトチェンジを可能としている。

インパネ配置の6速MTは、シフトノブ形状、ストローク、操作荷重に至るまできめ細やかにチューニング。ステアリングからの手の移動距離が少なくて済むため、スムーズなシフトチェンジを可能としている。

画像: サイドサポート形状や表皮をオリジナルのファブリックとしたレッドのレカロ社製バケットシートを採用。

サイドサポート形状や表皮をオリジナルのファブリックとしたレッドのレカロ社製バケットシートを採用。

インテグラ タイプRとは違う方向性で味付けを行う

「シビックとしては初めて電動パワーステアリング(EPS)を採用しましたが、最初はトレース性をうまく出せませんでした。路面のインフォメーションもうまく伝えられない。ドイツやスペインの道路でテストを繰り返し、データを取りました。いいものになったので、これをベースにタイプRの仕様を決め、さらに能力を引き上げました。

インテグラはサーキットを速く走るためのセッティングとしています。シビックはサーキットも気持ち良く走れますが、ワインディングロード重視の味付けです。ガチガチじゃありません。また、エンジンのフライホイールマスも軽くして気持ち良く回るようにしました」
と、日本仕様を開発したときの舞台裏を明かす。

パワーユニットは、1595㏄のB16B型直列4気筒DOHC VTECからインテグラのタイプRと同じ1998㏄のK20A型直列4気筒DOHC i-VTECになっている。ワインディングロードなどでの扱いやすさを重視して、DC5型インテグラ タイプRより最高出力は5㎰、最大トルクも0.4㎏m引き下げられた。だが、それでも最高出力は215㎰ に達し、最大トルクも20.6㎏mの高性能を誇る。8400回転まで軽やかに吹け上がり、当時としてはクリーン性能も優秀だった。

画像: K20A型エンジン 透視図

K20A型エンジン 透視図

「タイプRは、ヨーロッパではイギリスを中心に売れました。80%くらいがイギリスでしたね。いいものは欲しい、という文化が根付いています。ドイツでも人気は高いです」

インタビューの最後に、今後のタイプRについてどうなってほしいかを語っていただいた。

「この10年でヨーロッパ市場は大きく変わりました。パワー競争が激化し、Bセグメントでも250馬力レベル、Cセグメントだと300馬力近くないと話になりません。自然吸気エンジンでは太刀打ちできない時代になってしまいました。また、『ニュル最速』や『●●世界一』などの冠も要求されるようになっています。タイプRを出すなら、世界一を目指し、本気で取り組んでほしい」
と、後輩たちにエールを送る。

画像: インテグラ タイプRとは違う方向性で味付けを行う

■インタビュー・文:片岡英明
■インタビュー日:2017年3月31日

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