いよいよ本日開幕するル・マン24時間。トヨタの総合優勝に期待がかかりますね! さて、ル・マン24時間と言えば、思い出されるのがマツダの活躍。1991年に日本メーカー初の総合優勝を飾った787Bはあまりにも有名ですが、実は初代RX-7ベースのレーシングマシン(グループ5仕様)で参戦していた時代があったんです。
画像: 1981年にル・マン24時間に参戦した「マツダRX−7 253」。300psまでチューンされていましたが、それでもライバル車と比べると非力であったことは否めません。

1981年にル・マン24時間に参戦した「マツダRX−7 253」。300psまでチューンされていましたが、それでもライバル車と比べると非力であったことは否めません。

画像: もう1台の「マツダRX−7 253」。基本的なスペックは2台とも変わりませんが、コチラのほうが少し軽かったようです。

もう1台の「マツダRX−7 253」。基本的なスペックは2台とも変わりませんが、コチラのほうが少し軽かったようです。

マツダスピードによるル・マン本格参戦が始まったのは1979年のこと。サバンナRX-7はその前年の1978年発売でしたから、その高性能をアピールする舞台として、ル・マン(IMSA-GTOクラス)が選ばれたのでしょう。通称「マツダ252i」と呼ばれるこのマシンのエンジンは国内仕様の12Aではなく、海外仕様の13Bをベースに開発されました。もっとも当時のマツダはレース活動のリスクを鑑みル・マン参戦には消極的であったといいます。まだディーラーの一部門であったマツダスピードに白羽の矢が立ったのは、そうした事情があったようですね。

残念ながら結果は惨敗。予選落ちの屈辱を味わうことに…。

その屈辱を晴らすため翌々年(1981年)に2台体制でエントリーされたのが「マツダRX-7 253」です。1979年と同じくIMSA-GTOクラスに2台エントリーしました。ボディデザインは由良拓也、チーム運営は英国のTWRとマツダスピードが共同で行い、マツダ本社からも支援部隊が加わり盤石の体制で臨みました。今回は予選も無事クリアして本戦に臨みましたが、メカニカルトラブルが続出し、結果的に2台ともリタイア…ル・マン完走の夢は、翌1982年に投入された「マツダRX-7 254」まで待たねばなりませんでした。

画像: エンジンは13B。NAで300馬力は立派なパワーですが、ライバルたちはそれ以上の馬力で立ちふさがりました。

エンジンは13B。NAで300馬力は立派なパワーですが、ライバルたちはそれ以上の馬力で立ちふさがりました。

画像: いわゆる「街道レーサー」たちもこの仕様をお手本にした。それにしてもリアのオーバーハングが凄いですね!

いわゆる「街道レーサー」たちもこの仕様をお手本にした。それにしてもリアのオーバーハングが凄いですね!

ちなみに今回掲載したカットは、1981年2月に都内で開催された参戦発表会の時に撮影されたもの。モーターマガジン社の資料室の奥深くに眠っていたものを偶然発見しました。「253」の写真は意外や少なく、マツダ・ファンやRX-7ファンにとってはお宝級の価値があるかも?

画像: ドライバーは寺田陽次朗さん(中央)ほか、生沢徹さん、鮒子田寛さんなど超一流どころが揃ったが、それでも完走できなかった。ル・マンの壁は厚かった…。

ドライバーは寺田陽次朗さん(中央)ほか、生沢徹さん、鮒子田寛さんなど超一流どころが揃ったが、それでも完走できなかった。ル・マンの壁は厚かった…。

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