ホンダF1活動第2期の中でも「最強」マシンと言われるマクラーレン・ホンダ MP4/4。圧倒的な速さで、もはや負ける気がしなかった。セナとプロストが築いた、奇跡の1年だった。(写真:金子 博)

ターボ時代終焉を告げる記念碑的モデル

1988年は歴史に残るシーズンとなった。ポップオフバルブを導入してもターボパワーを抑えることはできず、ホンダの独走が長く続いたこともあり、FIAはついに翌1989年からの3.5L自然吸気エンジンにすると発表。1988年限りでターボが禁止されることになった。

ターボ最終年となった1988年、エンジンのパワー規制はさらに厳しくなり、ブースト圧は4バールから2.5バールに、レース中の燃料使用量は195Lから150Lに引き下げられた。しかし、ホンダは低燃費技術を駆使して、またもやこの難題をクリア。たしかにパワーはダウンしていたが、ライバルとのパワー差はさらに大きなものになっていた。

この年からホンダはエンジンの供給をウィリアムズからマクラーレンにスイッチ。前年からコンビを組むロータスとあわせて、2チーム体制となっている。

ホンダが新たにコンビを組んだマクラーレンは、シャシ性能、チーム力、ドライバー体制いずれも強力だった。

ゴードン・マーレイのデザインのシャシは低く細く、前面投影面積が小さく、リアウイングへ効率よく空気を流すためサイドポッドは低く絞り込まれていた。こうしたデザインを実現するため、エンジンのクランクシャフトの位置を下げ、またギアボックスのクラッチプレートを小径化するなどの改良が施されていた。

そしてこの年、アラン・プロストが7勝、アイルトン・セナが8勝と、ふたりで16戦15勝という歴史的勝利をあげた。唯一イタリアGPでフェラーリのゲルハルト・ベルガーに優勝をさらわれ、シーズン完全制覇はならなかったが、マクラーレンMP4/4が史上最強のマシンだったことは明らかだ。

もちろんコンストラクターズタイトルを獲得。ドライバーズタイトルは、総得点でプロストが上回ったものの、有効ポイント制によりセナのものとなった。

画像: 低く抑えられたボディがマクラーレンMP4/4の特徴。

低く抑えられたボディがマクラーレンMP4/4の特徴。

画像: シーズン8勝をあげて初めてチャンピオンに輝いたアイルトン・セナ。日本GPでタイトルを決めた。

シーズン8勝をあげて初めてチャンピオンに輝いたアイルトン・セナ。日本GPでタイトルを決めた。

画像: シーズン7勝をあげたアラン・プロスト。総得点ではアイルトン・セナを上回ったものの、ドライバーズランキング2位にとどまった。

シーズン7勝をあげたアラン・プロスト。総得点ではアイルトン・セナを上回ったものの、ドライバーズランキング2位にとどまった。

画像: ブースト圧規制が入るまでは7バールまで上げられていたという過給圧は2.5バールまで制限。しかしそれがかえってライバルたちとの差を広げ、ホンダエンジンは圧倒的な速さを手に入れた。

ブースト圧規制が入るまでは7バールまで上げられていたという過給圧は2.5バールまで制限。しかしそれがかえってライバルたちとの差を広げ、ホンダエンジンは圧倒的な速さを手に入れた。

ホンダF1第2期のバックナンバー

マクラーレン・ホンダ MP4/4(1988)
McLaren Honda MP4/4

エンジン:Honda RA168E
●排気量:1494cc
●形式:80度V型6気筒ツインターボ
●最高出力:685ps
●最高回転数:12300rpm
●燃料供給方式:PGM-FI 2インジェクター
●スロットル形式:2連バタフライ式スロットルバルブ
●点火方式:CDI
●エンジン重量:146kg

シャシ:McLaren MP4/4
●デザイナー:スティーブ・ニコルズ
●ホイールベース 2875mm
●トレッド前/後:1824mm/1670mm
●サスペンション:ダブルウイッシュボーン(前プルロッド/後プッシュロッド)
●タイヤ前/後:11.75-13/16.3-13インチ
●トランスミッション:マクラーレン製6速MT
●車体重量:540kg

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