プジョー206WRCの次に、WRCの王座についたのがシトロエン クサラWRCだった。天才セバスチャン・ローブとともにWRCを席巻、途中ワークス撤退もありながら、6年間で28勝をあげるなど圧倒的な速さを誇った。(タイトル写真は2004年のラリージャパン。セバスチャン・ローブは2位)

ローブによって引き出された走りは鮮烈だった

同門のプジョーの後を追うように、ラリーレイドから2Lキットカー、そしてWRカーヘと活躍の場を移し、WRCでは2004年からプジョーの王座を継承。日本車の時代を完全に終わらせたのがシトロエンだ。

その原動力となった「クサラWRC」は、FWDのクサラ キットカーで大パワーを受け止める電子制御アクティブデフのノウハクを学び、2000年フランス選手権にプロトタイプとして参戦させたクサラT4で4WDターボカーの経験も蓄積。2001年に満を持してデビューした。

テクニカルディレクターとして開発を主導したのは、プジョーで206T16開発の主力だったベテランエンジニア、ジャン-クロード・ボカールだ。

デビューまでにたっぷりと開発期間をとったクサラWRCはいきなり高い戦闘力を発揮、初年度はターマック3戦、グラベル1戦の限定的な参戦だったが、シーズン終盤のツール・ド・コルスで早くも初優勝を達成している。

2年目の2002年にはのちの最強ドライバー、セバスチャン・ローブがドイツでWRC初優勝を飾る。そして2003年、ドライバーズタイトルこそスバルのペター・ソルベルグに1点差でさらわれたものの、シトロエンはフル参戦2年目にして初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。

画像: 2005年フィンランドラリー。セバスチャン・ローブは2位。

2005年フィンランドラリー。セバスチャン・ローブは2位。

翌2004年にはマニュファクチャラーズタイトル2連覇を達成するとともに、ローブが初のドライバーズタイトルを獲得。ワークスが一時参戦を休止した2006年はマニュファクチャラーズタイトルこそフォードにさらわれたものの、ローブがドライバーズ選手権連覇を達成と、2007年に「C4 WRC」にバトンを渡すまで最強の存在であり続けた。

シトロエンがWRCを席巻した最大の要因として、不世出の天才ローブの圧倒的なパフォーマンスがあげられるが、クサラWRCも、シトロエン・スポールのチーム代表ギ・フレクランの処世訓である「ベルトにサスペンダー」を反映させた一滴の水も漏らさぬような完璧な信頼性で、ローブの快進撃を支えた。

当初はグラベルに不安があったパフォーマンスも、徹底したサスペンションの熟成で克服。ローブの急成長もあって、2003年後半以降は路面を選ばないオールラウンダーとしてWRCの歴史に名を刻むことになった。

画像: 2005年ラリードイチェランドの表彰台。セバスチャン・ローブが優勝。

2005年ラリードイチェランドの表彰台。セバスチャン・ローブが優勝。

WRC名車列伝のバックナンバー

シトロエン クサラ WRC(2004)主要諸元

●全長:4167mm
●全幅:1770mm
●ホイールベース:2555mm
●車両重量:1230kg
●エンジン:直列4気筒 DOHC ターボ
●排気量:1998cc
●ボア×ストローク:86.0×86.0mm
●最高出力:300ps/5500rpm
●最大トルク:520Nm/4000rpm
●駆動方式:4WD
●トランスミッション:6速シーケンシャル
●サスペンション:前後ストラット
●車両規則:グループA

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