スマートの発案者は、スウォッチの創業者だった
1982年に190シリーズによって、小型車への復帰を果たしたメルセデスだったが、それはまだ序の口にすぎなかった。1990年代には、小型どころか他のどの大手メーカーのクルマよりも小さい、超小型車のスマートを世に送り出すことになる。
スマートの発案者は、時計業界の風雲児というべき実業家ニコラス・ハイエクだった。斬新なコンセプトの低価格腕時計「スウォッチ」を大成功させたハイエクは、ミニカーをつくって自動車業界にも一石を投じようと画策した。しかし協業を頼んだどの自動車メーカーからもよい返事をもらえず、唯一応えたのがメルセデスだった。190シリーズの回でも述べたように、世界的にエコが求められる時代に、メルセデスはよりいっそうの「小型化」を必要としていた。メルセデス自身が、1980年代から独自に超小型車の研究を行っていたのだった。
ちなみに、このときフォルクスワーゲンが協業を断ったのは有名な話だ。その後、同社は自前で小型モデルのルポを市販化した。本稿でも追ってきたように、かつて小型車がフォルクスワーゲン、中大型車がメルセデスと棲み分けていたが、前者が大型分野へ、後者が逆に小型分野へ進出し、両者は並び立つフルラインメーカーになっていくのだった。
メルセデスとスウォッチは合弁で1994年にマイクロ・コンパクトカーAGを設立し、1998年に市販型のスマート・シティクーペが発売された。これは現在のフォーツーに相当するが、スマート(Smart)とはスウォッチとメルセデスの頭文字であるSとMにArtの文字をつなげたものといわれる。
スマートは注目を集めたが、前途洋々ではなかった。発売後には横転問題が起きて設計変更をしいられ、その後も販売が目論見どおりにはいかず、赤字が続いた。スマートは2人乗りながらも、価格があまり安くなかったのだ。世界的な石油価格の高騰が追い風となって、ようやく黒字となるのは2007年のことだったが、それまでにスウォッチは撤退してしまった。
スマートはブランドが異なる超小型車とはいえ、メルセデスの技術力と哲学がしっかり投入された。徹底的にコストダウンを図っているが、安っぽい悲壮感がないのは、デザインパッケージにスウォッチ的な世界観があったからかもしれない。2.5mという全長の中で、2名乗車とはいえ、居住性と安全性を確保するために、フロアには2階建てのサンドイッチ構造を採用し、エンジンはリアに搭載。前後オーバーハングがまったくない。
車体は、トリディオン・セーフティセルと呼ばれる強固な構造を採用し、外板にはポリカーボネートを使用して、ポップな2トーンのボディカラーとしている。
スマートは2007年に2代目に進化し、当時提携していた三菱自動車製のエンジンを積み、アメリカ市場にも進出。2014年からの3代目はルノーと共同開発とされている。2019年には、中国の吉利(ジーリー)がスマートの株50%を引き受けて経営に参画することになり、近い将来スマートは全車EV化するとアナウンスされている。
スマートは、今までも、そしてこれからも、あくまでもクルマの未来が託される存在なのだ。(文:武田 隆/写真:メルセデス・ベンツ)