メルセデスベンツ190E2.3-16コスワースは、最初からグループAを制覇するために作られたマシンと言っても過言ではない。コスワースとはイギリスのレーシングエンジンビルダーとして知られ、1967年にF1のロータス49に搭載され高い戦闘力を示したフォードコスワースDFVエンジンの設計・製作などで名高い。ベンツはレースに勝つためそんなスペシャリストとコラボした。そのマシンが1985年のインターTEC終了後、レイトンハウスにより輸入されたのだ。

ベンツとコスワースのコラボから生まれたサラブレッド

画像: 1985年シーズンが終わると同時に輸入されたレイトンハウス メルセデスベンツ190E2.3-16。レギュラーシーズンでは予選では速さを見せるものの、完走を果たせなかった。

1985年シーズンが終わると同時に輸入されたレイトンハウス メルセデスベンツ190E2.3-16。レギュラーシーズンでは予選では速さを見せるものの、完走を果たせなかった。

メルセデスベンツ190E2.3-16のエンジンは、コスワースが設計の段階からタッチしていた。2.3L直4DOHC16バルブで、ノーマルでは175ps/5800rpm(DIN)というスペックだが、グループA仕様は公表データがないが280ps/7800rpm程度と推定される。

ボディももともと堅牢に作られているが、スチール製ロールケージでさらに固められている。それは室内はを保護するだけでなくボディ剛性のアップを図るためのものでもある。サスペンションはグループA規定に則りフロント/ストラット、リア/マルチリンクを踏襲している。ただしフロントサスペンションは、スタビライザー径、アーム長も変えられる設計となった。

フロントのキャスター角が強く付けられているのも特徴で、これによって直進安定性を増すとともにステアリングを切ったときにネガティブキャンバーとなるサスペンションジオメトリーを採った。

また前後ハブは、センターロック式に変更されている。これは耐久レースのピットワークの時間を短縮するための手段だ。

画像: 一見、190Eとの違いはリアの控えめなエアロとウイング程度だが、中身はコスワースの手を借りたエンジンを含めて別物となっていた。

一見、190Eとの違いはリアの控えめなエアロとウイング程度だが、中身はコスワースの手を借りたエンジンを含めて別物となっていた。

ブレーキキャリパーは前後ともブレンボ製の4ポットを採用。制動力の配分は室内から可能な構造になっている。タイヤはミシュランのレーシングタイヤでフロント23/62−16、リア25/64−16というサイズ。これがフェンダーぎりぎりに収まる。

1986年シーズン、レイトンハウスベンツは黒沢元治/萩原光というベテランと若手のコンビで活躍が期待されたが、第2戦の菅生を控えたテスト中に萩原が事故死という悲劇に見舞われた。そんな中で迎えた最終戦のインターTECは、黒沢元治/影山正彦組が出場。予選21位からスタートし67周でコンピュータートラブルによってリタイアという結果に終わっている。

ただし、このレースでは、ヨーロッパで圧倒的な速さを誇るフランスチームが参戦(Dスーベック/A クディーニ組)し、予選で15位、決勝では総合6位でクラス優勝を遂げ、本場のマシンの強さを見せつけた。

画像: 1986年のインターTECにはフランスチームが来日。予選15位、決勝6位という活躍を見せた。

1986年のインターTECにはフランスチームが来日。予選15位、決勝6位という活躍を見せた。

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