GT-Rはレースで勝ってこそ…そんな覚悟の中で登場
![画像: 1990年の全日本ツーリングカー選手権にカルソニックスカイラインとともにデビューしたリーボックスカイライン。ファーストドライバーは長谷見昌弘だ。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/11/19/43f8df6a16555960391239f1d53bb61790debf73_xlarge.jpg)
1990年の全日本ツーリングカー選手権にカルソニックスカイラインとともにデビューしたリーボックスカイライン。ファーストドライバーは長谷見昌弘だ。
スカイラインGT-Rに搭載されるパワーユニットはRB26DETTと名付けられた2.6L直6DOHCツインターボエンジン。ノーマルのスペックは、最高出力280ps/6800rpm、最大トルク36.0kgm/4400rpmだが、これは言わばデチューン版で、本来の性能は最高出力310ps/6800rpm、最大トルク36kgm/4400〜5600rpmというものだった。グループA仕様は500台のエボリューションモデルであるGT-Rニスモをベースとし、最終目標性能が600ps/7600rpm、最高許容回転数は8500rpmとなっていた。実際にはこれ以上のパフォーマンスを発揮したという。
グループAというタイヤサイズが限定されるカテゴリーで、この大パワーを有効に路面に伝えるためには4WDシステムの採用が必須となった。そこで日産はアテーサE-TSという電子制御トルクスプリット4WDの採用に踏み切る。トルク配分は0:100〜50:50に連続で切り替わるシステムはレースでも有効に働いた。
![画像: RB26DETTはグループAのディビジョン1を有利に闘うために排気量も決定されている。フルブーストでは700psも可能とも言われた強心臓だ。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/11/19/ac9343985e298034fe6b28945390efda9f04a08d_xlarge.jpg)
RB26DETTはグループAのディビジョン1を有利に闘うために排気量も決定されている。フルブーストでは700psも可能とも言われた強心臓だ。
サスペンションは、スカイラインの伝統とも言えたストラット/セミトレーリングアームを捨て、前後マルチリンクに変更された。複雑な動きをするこのサスペンションをレース用にセットアップするために日産テクニカルセンターのCADによって設計が行われたという。
西日本サーキットで開催された1990年の全日本ツーリングカー選手権開幕戦にスカイラインGT-Rは姿を見せた。カルソニックスカイライン(星野一義/鈴木亜久里)とリーボックスカイライン(長谷見昌弘/Aオロフソン)は予選からフォードシエラを圧倒。決勝でも段違いの速さを見せ、カルソニックが優勝、リーボックが2位となる。その後も、スカイラインGT-Rは圧倒的な速さと強さを見せつける。
![画像: 待ちに待ったサーキットでの王者としてのスカイラインはデビューから注目の的。以降、1993年まで29連勝の無敵ぶりを誇った。](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783018/rc/2019/11/19/2d5961f2cf9e7598b9df05e7da3424d8ff29ff86_xlarge.jpg)
待ちに待ったサーキットでの王者としてのスカイラインはデビューから注目の的。以降、1993年まで29連勝の無敵ぶりを誇った。
そして同年11月のインターTEC。日本車がそれまで一度も勝てなかったレースだ。予選ではカルソニック、リーボックが1−2位を占める。決勝では、インターTECでの4連勝のかかったフォードシエラが2位に割り込むシーンもあったが、結局、カルソニックとリーボックのGT-Rで1−2フィニッシュとなる。日本のグループAファンもようやく溜飲を下げることとなる。
以降、1993年のグループAの終焉までスカイラインGT-Rの天下が続くことになるが、ライバルの不在はそれはそれでレースをつまらなくした…という面もあったかも知れない。