土台の古さを感じさせない究極のDOHCターボ
5M-GEU型エンジンの投入でいちやく国産車パワーウオーズの頂点に立ったトヨタは、その手綱を緩めることなく、ハイパワー路線を走り続けた。1984年には2.8L→3.0Lに排気量アップ(ストロークアップ)した6M-GEUを搭載した7代目クラウン(MS125型)を追加発売、同エンジンは翌1985年にソアラにも搭載された。
もっとも、このエンジンは序の口とも言えるもので、1986年1月にM型の真打ちとも呼ぶべきエンジンが登場する。それが2代目ソアラ(MZ20型)とともに登場した7M-GTEUだ。同年2月には遅れて登場したスープラ(A70型:国内では初代・海外では3代目)にも、7M-GTEUが搭載された。
当時は、グロス表示で230ps/34.0kgmを発生するV型6気筒SOHCターボのVG30ETを搭載するフェアレディZ(3代目Z31型:1983年9月発売)が国産最強の座に君臨していた。トヨタは前述の6M-GEUを投入するも、劣勢は明らかだった。それを一気に挽回するために投入されたのが、2代目ソアラとともに市場に投入された7M-GTEUである。ネット表示で最高出力230ps/5600rpm、最大トルク33.0kgm/4000rpmというスペックは、まさにVG30ETを意識したものだ。
トヨタがこのエンジンにかけた意気込みは、当時の最新鋭かつ贅沢なメカニズムを見れば明らかだ。排気量(ボア×ストローク)だけを見れば6M-GEUと同じ83×91mmだが、それをただターボ化しただけではない。完全新設計の24バルブDOHCヘッドには多球型ではなくペンントルーフ型の燃焼室が採用され、トヨタ内製のCT26型ターボチャージャーと大型の空冷インタークーラーを組み合わせた。
さらに3連コイルによるデスビレス点火やカルマン渦エアフロメーターなど、電子パーツにも最新鋭のものが組み込まれたのだ。6M-GEUをターボ化して過給するだけでも、VG30ETと十分伍して戦うエンジンを作ることはできたはずだ。だが、それをしなかったのは、近い将来のさらなるパワーアップ競争を見越したものだったと言われている。
昭和を駆け抜けた名機も平成に入り後継機にバトンタッチ
パワー競争はその後も過熱し、1988年1月に実施された2代目ソアラのマイナーチェンジ時には、ハイオク仕様として7M-GTEUは240ps/35.0kgmに。さらに同年2月に登場した500台限定生産のスープラGTターボAでは、高速型タービン、大型インタークーラー、さらにDジェトロEFIを採用して270ps/36.5kgmまでパワーアップした(エンジン型式は7M-GTE)。
もっとも、1980年代も終わりになると、基本設計の古いM型エンジンは壁にぶち当たる。本来は2LでスタートしたM型を排気量の拡大に次ぐ拡大を繰り返してきた結果、ボアピッチや冷却面でのマージンなど、土台自体に限界が近づいてきたのである。
時代は平成に移ろい、R32スカイラインGT-R、Z32型フェアレディZが登場し、トヨタからもM型の後継機である1JZ-GTE(2.5Lターボ)や2JZ-GTE(3.0Lターボ)の登場が控えていた。どれも自主規制いっぱいの280psを軽々とマークするのを目の当たりにした7M-GTEUは、1990年代初頭にスープラのマイナーチェンジ(1990年8月)やソアラのフルモデルチェンジ(1991年5月)が相次いだのを機に、ついに第一線から退くこととなった。
ちなみに、ターボの陰に隠れがちだが7M-GTEUにはNA版の7M-GEも存在していた。こちらはターボに遅れることおよそ1年半、1987年9月に8代目クラウン(MS130型)に搭載されてデビュー。以後、マークⅡなど高級車の上級グレードに搭載された。最強を目指したターボと異なり、静粛性とドライバビリティを重視したスペックは最高出力190ps/5600rpm、最大トルク26.0kgm/3600rpm。中低速トルクを太らせるためにACIS(共鳴可変吸気システム)を採用するなど、ターボとは異なるチューニングが施されていた。
また、1989年8月のマークIIマイナーチェンジを機にハイオク仕様となって200ps/27.0kgmにパワーアップ。さらにフルカウンター・クランクを採用する7M-GTEUなど、静粛性の向上も図られた。7M-GEは7M-GTEUなきあと、1992年10月のマークIIフルモデルチェンジまで生産された。1965年に始まったM型エンジンの歴史はこれにて幕を閉じる。