サーフィン映画の影響でサーフボードを積んだクルマが街にあふれた
1981年にいすゞが、これまでの「働くクルマ」とは用途をまったく変更した都会派のオフロード4WD「ビッグホーン」を発売し、話題となった。翌年の82年には、三菱「パジェロ」が乗用ナンバーで登場するなど、オフロード4WDを取り巻く状況が変わりつつあった。そんな時代にトヨタが投入した秘策の車両が「ハイラックスサーフ」だった。
当時、若者の間では「渋カジファッション」や雑誌「POPEYE(ポパイ)」などが流行っていた。そして、あの伝説のサーフィン映画「ビッグ・ウエンズデー」に影響された男女が海岸や街にあふれていた。マツダ「ファミリア」のルーフや「ピックアップ・トラック」の荷台にサーフボードを搭載した「サーファースタイル」がトレンディーな象徴のひとつだった。
ハイラックスサーフの元祖はアメリカで誕生した4ランナー
一方、当時のアメリカ西海岸では、「ピックアップ・トラック」にシェルを被せた乗り方がすでに人気を集めていた。その一例として、ハイラックス+シェルモデルをアメリカのカスタムショップがラインアップ。これこそハイラックスサーフの元祖とも言える、ミニRV「ウィネベーゴ・トレッカー」だった。そのカスタムショップからは1981年から1983年にアメリカ国内で提供していが、トヨタはこの「ウィネベーゴ・トレッカー」を受け入れ、1983年、まずアメリカで「4 Runner(フォーランナー)」という名前で発売を開始した。
そんな、西海岸の匂いがプンプン漂うアメリカンスタイルは、日本の若いクルマファン大いに受けた。そしてついに1984年、ハイラックス・ピックアップの派生モデルとして、ショートボディの荷台に脱着可能(※走行中の取り外しは不可)なFRPシエルを被せた「ハイラックスサーフ」の初代、N60系の国内販売が開始された。
2Lのガソリンと2.4Lのディーゼルエンジンを設定
そのニューフェイスとは裏腹に、メカニカルな部分では、ベース車両であるハイラックス・ピックアップの実用装備そのものが流用されていた。まだダブルキャブなどなかった時代、当然N60系サーフも2ドア・バンのみのボディバリエーションだった。パワーユニットはガソリン1998cc・直4の3Y-J型(105ps/14.5kgm)とディーゼル2446cc・直4の2L型(83ps/17.0kgm)。これに5速MTとパートタイム4WDが組み合わされた。後にディーゼルターボの2L-T型(96ps/19.5kgm)が追加された。
ラダーフレームに備わるサスペンションは質実剛健、前後リーフリジッドを配していた。そのレイアウトはスアクスルハウジングの上にスプリングを固定する形式で、乗り心地はお世辞にも良いとはいえなかった。しかし、ハイリフトスタイルにカスタムするには適しており、また乗り心地より見た目優先の時代背景もあって、若者にとって快適性はそれほど重要な問題ではなかったようだ。
しかしハイラックスサーフは実用車としてではなく、乗用車として設定したモデルだったので、快適性能を軽視することはできなかった。その結果、1985年にフロントのリーフリジッド式サスペンションをダブルウイッシュボーン+トーションバースプリング式に変更した。これにより、快適性と操縦安定性を格段に高めたモデルへと進化した。
走りのパフォーマンスと装備を向上させた5ナンバーワゴンを追加
1986年、日産のライバル車「テラノ」がデビューしたその年に、ハイラックスサーフは装備と性能をより充実させた5ナンバーワゴンを追加する。その際たるはガソリンエンジンのパワーアップ。3Y-J型をインジェクション化させた3Y-EU型(97ps/16.3kgm)に換装して当時の排出ガス規制をクリアした。そしてハイラックスシリーズ初となる4速ATも採用した。このATは電子制御トランスファーとのカップリングにより、走行中でも4Hi・4Loの切り替えができる機能を備えていた。
タフさを備えながらも「レジャー使用」に特化したN60系ハイラックスサーフは、国内はもとより世界でSUVが全盛を迎えた「第1次SUVブーム」を代表する存在となった。(文:田尻朋美)