1984年、ついにOZホイールとF1マシンとの長い歴史が始まった
OZの現在に至るスポーツイメージは、1984年にレース部門「OZレーシング」の設立に端を発する。指揮したのは就任したばかりのクラウディオ・ベルノーニ現社長。その年、マグネシウム&アルミニウムの2ピース構造としたF1用ホイールの供給を開始した。そのチームは「アルファロメオ ユーロレーシング」で、ドライバーはR・パトレーゼとE・チーバーだった。新参チームとあって戦績は芳しくはなかったが、ベルノーニ社長は「戦うホイール」の手応えを掴んだに違いない。
そして1988年にはWRC(世界ラリー選手権)に参入する。ホイールを供給したマシンはトヨタ セリカGT-FOUR。セリカは「打倒ランチア」を目標に果敢に攻めた。OZホイールはグラベルでのブレーキ保護のため敢えてディッシュデザインとし、ホワイトのディスク面には赤色の文字で「O.Z. Racing」と刻まれ鮮烈な印象を与えた。その後、このデザインは市販化され大人気となる。
セリカGT-FOURとOZは、攻めの姿勢の甲斐あって、1990年にカルロス・サインツが遂にドライバーズチャンピオンを手にする。一方、マニュファクチャラーズとドライバーズのダブルタイトルは、1993年のユハ・カンクネン&セリカまで待たねばならなかった。セリカは世代交代していたがポテンシャルの高さを実証したのである。
その後のF1はと言うと、1993年にアラン・プロストが駆るウイリアムズ・ルノーが16戦中7勝を挙げ、ドライバーズとコンストラクターズのダブルタイトルを手中にした。1990年代初頭、OZはレース&ラリーで活躍し「モータースポーツにOZホイールあり」を強烈にアピールしたのだ。こうしたサーキットでのOZの強さは年を追う毎に高まり、1997年にはアメリカでの名声を決定付ける快挙を成し遂げた。なんとCART、インディ500、そしてIRL(インディ レーシングリーグ)の3冠を手にしたのだ。
21世紀に入ってもOZの快進撃は続く。象徴的だったのが2001年のWRCである。マニュファクチャラーズは前年同様にプジョーとOZの組み合わせだったが、ドライバーズはスバル インプレッサを駆るリチャード・バーンズとOZだったのである。勝つためにいかに多くのチームがOZ製ホイールを履いていたかがわかる。
そして2003年にはWRCマニュファクチャラーズで100%を占めるに至るのだ。そうワンメイク状態になったのである。翌2004年、ル・マン24時間レースではアウディが優勝する。その足下は当然の如くOZだった。2007年時点でOZは世界で100ものタイトルを手にするのだった。
ちなみに2020年末時点でOZが手にしたタイトルは、F1のドライバーズが13回、F1のマニュファクチャラーズが14回、WRCのドライバーズが23回、WRCのマニュファクチャラーズが24回、ル・マン24時間が15回、インディカーシリーズが19回を数える。その結果、OZがこれまで獲得したタイトルは、総計200以上に及ぶ。こうした勝利の積み重ねによって「OZ=ウイニングホイール」は確たるものとなったのだ。
37年前にモータスポーツでの勝利を目指してスタートしたOZレーシング。こうした長年にわたる栄光の裏打ちがあるからこそOZホイールは高い信頼性を得ているのだ。