マツダ ロードスターの「伝説の開発主査」こと貴島孝雄氏が、現役時代に出会った記憶に残る人物を紹介する連載企画。今回は、「ロードスター・クラブ・オブ・ジャパン(RCOJ)」の代表を務める「水落正典さん」を紹介する。

※タイトル写真:マツダに入社後、M2(エムツー)で過ごした時間は、メーカーとユーザーとの距離を縮める商品企画として、現在に生かされている。当時の拠点であるM2ビル(現在は他社所有)を眺められる場所に、RCOJの事務所がある。

ロータリーにあこがれてマツダに入社した水落さん

ロードスターのオーナーズクラブは全世界に存在している。日本国内では、RCOJ(ロードスター・クラブ・オブ・ジャパン)が最大規模を誇り、このクラブを運営しているのが、ここに紹介する水落さんだ。ロータリーにあこがれてマツダに入社し、M2(エムツー)というマツダのグループ会社で活躍した人物である。

インターネットやSNSの普及もあって、いまでこそ同一車種で集まるオフ会は日本中で盛んに行われているが、初代ユーノス ロードスターが発売された平成元年(1989年)はワープロ全盛期である。インターネットもごく一部の人しか利用していないような時代だ。そんな状況にもかかわらず、ロードスターのミーティング文化は早々に育っていた。

はじまりこそ小ぢんまりではあったものだったが、ロードスターオーナーを見つけては声をかける、ユーザー間による草の根的な動きからクラブが作られた。やがてクラブごとの付き合いが深まり今でいうオフ会=ミーティング、イベントとして発展した。そして全国各地のミーティングが大規模化していき、今では恒例イベントとして定着している。

それらは主に各地のロードスターオーナーズクラブが運営している。その後押しをしているのが水落さんで、マツダとの橋渡しなどでミーティングを盛り上げる、仕掛けの一端を担っている。特別ゲストとして貴島さんが参加したり、話題の車両を展示したりと、その功績はとても大きいのだ。

「水落さんとは、商品企画のためのプロジェクト『M2』からのお付き合いです。M2は企画開発中のモデルを前に、お客さんがメーカーの人間と直接話をできる画期的な場所でした。M2発のモデルコンセプトは、お客さんの喜ぶ要素にあふれていましたが、いかんせん自動車販売というビジネス面で難しいものがありました」と貴島さんは振り返る。

さらに貴島さんはこう続けた。「M2モデルに試乗してみると、ユーザーの好む仕上がりだというのはよくわかるんです。たとえば汚れやすい白の内装も、お客さんが納得していればこそ。ただ量産車には保証の問題がありますから。あくまでM2はマツダの技術を生かした用品提案的な存在でした」

画像: 2020年までは、毎年5月末の日曜日に行われていた「軽井沢ミーティング」には、1000台を超えるロードスターが集まる。貴島さんも参加し、ユーザーとの深い関係を構築している。写真左が貴島さん、右が水落さん。

2020年までは、毎年5月末の日曜日に行われていた「軽井沢ミーティング」には、1000台を超えるロードスターが集まる。貴島さんも参加し、ユーザーとの深い関係を構築している。写真左が貴島さん、右が水落さん。

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