大正ロマン漂う、贅を尽くした特別な湯宿
大正という時代に注目する人が増えているそうだ。どうやらその時代を舞台にした人気マンガ・アニメ「鬼滅の刃」の影響らしい。祖母の話を思い起こすと、今よりずっと自由で躍動感あふれる時代だった印象がある。
たしかに文明開化の発展期だった明治が終わり、生活文化面にも「洋」のスタイルが定着、大正デモクラシーのように人々の意識も大きく変化した時代だったことは教科書からも窺い知れる。そういえば、カレーライスやコロッケといった洋食や、スプーンなどの洋食器もこの頃に広まったらしい。まさに和洋折衷が加速化した時代だ。
今回は、そんな大正という時代のノスタルジーさもさることながら、その精神性が息づく特別な場所を紹介したい。天下の嶮(けん)・箱根の小涌谷にある「箱根・翠松園」である。
この界隈は、大正期に国道1号線や箱根登山鉄道が開通し、開発が進んだところ。軽井沢や中禅寺湖と並び、外国人のサマーハウスや富裕層の別荘が立ち並んだ場所でもある。
箱根・翠松園はそんな華やかりし頃の別荘を改装したものだ。大正14年(1925年)に三井財閥の別荘として建てられた「三井 翠松園」の跡地であり、現在も木造2階建ての和風別荘が当時の姿を残している。あの富士屋ホテルを手掛けた河原徳次郎が建築したと伝わる立派な建物で、国の登録有形文化財だ。温かみのある手延べの窓ガラスや建具などが織りなす空間は、現代では得難い雰囲気に満ちている。
すべて異なる全23室のゲストルームの意匠
一方、精神性といったのは、躍動感や自由さを失わない大正時代の感性にも似た、いわば、遊び心あふれるつくりやサービスをこの宿から感じられるからだ。宿が特段そこまで時代を意識しているわけではなさそうだが、そこに大正ロマン(!?)をも感じてしまう。
たとえば、貴重な建築物でもある別荘は、かつての趣をそのままに「料亭 紅葉」、「バー伊都」として存分に活用。旬の食材を使った丁寧な仕事の懐石料理や洋食鉄板料理など、四季折々の移ろいを見せる庭園の景色とともに食事が楽しめる。
また、凛とした構えのモダンなエントランスや自然と調和する落ち着きある設え、箱根の山々や周囲の杉林を借景としたであろう美しい庭園など、この地の自然を見事に取り入れたその佇まいは、まさに名家の格式を損なうことなく今様にして伝えている。
さらには、源泉かけ流しの客室露天風呂を備える全23室のゲストルームは、意匠がすべて異なるというこだわりよう。寛ぎやすい琉球畳を用いた部屋やハンモックを備える部屋のほか、内風呂にジャグジーバス、ミストサウナを備える快適おこもり仕様の部屋もあるといった具合だ。
なお、プライバシー性の配慮も高く、バトラー(執事)と顔を合わせずに済むつくりやパブリックスペースでも目線が重ならない工夫が凝らされている。別荘のようにも、ホテルのようにも使える自由さがここにはある。
ラグジュアリーな宿が林立する箱根にあって、歴史ある世界を気がねなく楽しんでしまえる、とびきり特別な宿である。(文:小倉 修)