この連載では、昭和30年~55年(1955年〜1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第51回目は、いすゞのスポーツカー史上に燦然と輝くベレット1600GTRの登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より)

DOHC搭載で、再び輝きを取り戻したいすゞの看板を張るハイパフォーマンスカー

昭和38(1963)年の東京モーターショーに登場、翌39年に市販が開始されてベレットGTは高性能で鳴らしたが、昭和も40年代半ばに近づき、さすがに並いる強豪ライバルの出現で少々色褪せてきていた。

画像: リアサスペンションにはダイアゴナルリンク式スイングアクスルという珍しい形式を採用していた。独立懸架だがキャンバー変化が大きいのが難点だった。

リアサスペンションにはダイアゴナルリンク式スイングアクスルという珍しい形式を採用していた。独立懸架だがキャンバー変化が大きいのが難点だった。

トヨタ1600GT、スカイライン2000GT-Rなど、「本格GT」にはDOHCエンジンが必要条件となりつつある時代、よく回るといっても旧式となりつつあったOHVではユーザーを満足させることができなくなり始めており、GTカーのイメージとしてもふさわしくなかった。

そこでいすゞは、昭和43(1968)年発表の117クーペ用に開発したDOHCエンジン、G161W型をベレットGTに移植することにした。このベレットの最強バージョンが1600GTR(昭和45年以降には「1600GT・TypeR」の表記も見られる)、車両型式名・PR91Wである。

このハイパフォーマンスカーの発売に先駆けて、いすゞは昭和44(1969)年8月に開催された鈴鹿12時間レースにアルミボディのベレット1600GT-Xをエントリー。トヨタ1600GTを抑えて総合優勝を成し遂げた(ドライバーは浅岡重輝/形山寛次)。これが市販型ベレット1600GTRのプロトタイプということになる。

ただ、このG161W型エンジンは117クーぺ専用に開発されたもので、量産化することを念頭に置いていなかったため、コスト高(ヘッドがハンドメイドに近かった)と生産体制の問題があり、すんなりとベレット1600GTRの生産が決まったわけではなかった。

それでも、OHV時代からエンジンの耐久性とパワーに定評のあったベレットGTは、ツインカムエンジンを搭載することになって一段とそのパフォーマンスに磨きをかけることになった。 

画像: ソレックス・ダブルチョークキャブレターを2連装したG161W型1.6L直4DOHC8バルブエンジン。これによってベレットはGTRの名称が与えられることになった。

ソレックス・ダブルチョークキャブレターを2連装したG161W型1.6L直4DOHC8バルブエンジン。これによってベレットはGTRの名称が与えられることになった。

目玉となったG161W型DOHCエンジンは、排気量1584cc(82.0×75.0mm)、圧縮比10.3、ソ
レックス/ミクニのキャブレターを2連装して、出力は120ps/6400rpm、最大トルク14.5kgm/5000rpmを発生した。車重は970㎏で、馬力あたり重量は8.1kg/psという優れたもの。

4速マニュアルギヤボックスをフロアに備え、0→400m加速は16.6秒、最高速は190km/hとなっていた。これは先発のライバル、トヨタ1600GT(RT55)をパワーで10ps、最高速度で15km/hも上回り、1.6Lクラスで第一級のスペックであった。

エクステリア=ボディシェルはオリジナルのオーバルシェイプそのままだが、高められた性能に見合った意匠が施されている。具体的には、つや消し黒塗りのボンネット、フロントバンパーは分割式となり、内側に大径フォグランプを備えた精悍なデザインとなっていた。

また室内もシートから天井まですべて黒色に統一されていた。シートも当時まだ珍しいバケットタイプで、ステアリングも太い革巻きとなっており、スポーツカーのイメージは満点だった。

シャシ関係は、基本的には他のベレットのバージョンと構成は同じだが、リアサスペンションの横置きリーフ式コンペンセイターは1枚から3枚に増やされた。これはスイングアクスルという特殊な独立式サスペンションに由来する大きなキャンバー変化を抑える目的で追加されたものだ。これでリアの不安定な動きを緩和したのだ。

ブレーキはフロントがサーボアシストつきディスク、リアは冷却効率を上げたアルフィンドラムタイプとなっていた。タイヤは165HR-13ラジアルを履き、リミテッドスリップデフも標準装備されていた。

画像: ブラックアウトされたインテリアはかなりスポーティ。ペダルはヒール&トゥに対応してレイアウトされるといういすゞのこだわりが垣間見られた。

ブラックアウトされたインテリアはかなりスポーティ。ペダルはヒール&トゥに対応してレイアウトされるといういすゞのこだわりが垣間見られた。

凝ったメカニズムのエンジンのため量産化が難しく、またそれもあって車両価格が116万円(昭和44年デビュー時)と高価なこともあり、ベレット1600GTRの月販は100~150台程度とそれほど多くはなかった。だが、イタリア車のような独特のレーシングムードがマニアに愛され、昭和48(1973)年まで生産が続けられた。

なおベレットシリーズは昭和45(1970)年にSOHC1.8Lの1800GTを追加、46年には最後のマイナーチェンジを受けている(フェイスリフトと安全対策が主な変更点)。ただ、デザインに小変更が加えられたこの最終型は、オーバーデコレーション気味で、「ベレGファン」の評判は芳しくなかった。

画像: 昭和46(1971)年にベレットは最後のマイナーチェンジを受けて登場。この時、ベレット1600GTRも小変更を受けている。フロントマスクはブラック化された。

昭和46(1971)年にベレットは最後のマイナーチェンジを受けて登場。この時、ベレット1600GTRも小変更を受けている。フロントマスクはブラック化された。

それでも個性的な存在であったベレット1600GTRは、この時代のスポーツカーの中でもきわめてマニアックな名車として記憶されている。

EPISODE

画像: EPISODE

ベレット1600GTRの後継モデル?

昭和46(1971)年の東京モーターショーのいすゞブースで1台のコンセプトカーが注目を集めた。それがベレット1600MXだ。イタリアのカロッツェリア・ギアがボディのデザインと製作を担当、当時としては珍しいリトラクタブルヘッドランプを採用し、G161W型DOHCを後車軸の前に載せたミドシップスポーツカーだった。しかし、残念ながら未発売に終わった。

いすゞ ベレット1600GTR(PR91W型)諸元

●全長×全幅×全高:4005×1495×1325mm
●ホイールベース:2350mm
●車両重量:970kg
●エンジン型式・種類:G16W型・直4DOHC
●排気量:1584cc
●最高出力:120ps/6400rpm
●最大トルク:14.5kgm/5000rpm
●トランスミッション:4速MT
●タイヤサイズ:165HR-13
●新車価格:116万円

This article is a sponsored article by
''.