ホンダの聖地のひとつ、ホンダコレクションホールが3月1日にリニューアルオープンした。その見どころを、6回に分けてお伝えする。パート3は2階の北フロアの展示内容について。「みんなを喜ばせたい」「技術力で世界に挑戦する」ことを目指して始まった「情熱の時代」を、レポートする。

夢を追う。世界最高峰レースでの完全制覇

入ってすぐに目に入るのがホンダの原点、自転車用の補助エンジンだ。本田宗一郎は戦後間もない1946年にホンダ技術研究所を立ち上げ2ストローク50ccのA型を開発。ベルトを介して後輪を駆動。これが人気となって48年には本田技研工業を興す。

画像: 自転車用補助エンジンを搭載した自転車。旧日本陸軍が使っていた無線機の発電用小型エンジンを手に入れた本田宗一郎が思いついたのが、自転車用の補助エンジンとして再利用することだった。遠方まで自転車で買い出しに出ていた妻の苦労を少しでも軽くしたい・・・「人を喜ばせたい」という思いは、ここから始まる。

自転車用補助エンジンを搭載した自転車。旧日本陸軍が使っていた無線機の発電用小型エンジンを手に入れた本田宗一郎が思いついたのが、自転車用の補助エンジンとして再利用することだった。遠方まで自転車で買い出しに出ていた妻の苦労を少しでも軽くしたい・・・「人を喜ばせたい」という思いは、ここから始まる。

52年、自転車の後輪にエンジンをボルトオンするカブF型を発売。白タンクと赤エンジンから「赤カブ」と呼ばれ全国的に大ヒットする。この50cc単気筒の構想が後のスーパーカブへと発展することとなる。

ホンダは50年からバイクをドリームと名付け、エントランスにあるように「夢」を追う。それは当時世界の最高峰レースと言われていたマン島TTレースへの挑戦である。

一介の、それもぽっと出の静岡浜松のバイクメーカーが世界へ討って出ると言うのだ。誰しも絵空事だと思った。が、その夢は挑戦3年目の61年に125ccと250cc完全制覇で叶う。さらに66年には50から500ccの5クラス完全制覇を成し遂げる。

その一方で58年から誰でも乗れるクラッチレスの簡易なバイク、スーパーカブを発売。2ストがフツーだった時代に4ストにこだわるホンダはOHVで討って出る。このスーパーカブは日本での配達用は言うに及ばず、気付けば世界の道を走り回る大人気モデルとなる。

このフロアではマン島TT出走マシン軍団は当然のこと、希少の“カブラリー”も含めずらり揃ったスーパーカブシリーズ、ホンダを代表する高性能バイクのドリームCB750フォアやCB450、さらには楽しいモンキーまでが並ぶ。

画像: 写真右がカブF型。中央が、「今に世界のホンダになる。」を宗一郎に確信させたドリームE型。その名はホンダ初の4ストロークエンジン「E型」に由来する。宗一郎の予想どおり、ホンダの二輪車メーカーとしての地位を確立する一台となった。

写真右がカブF型。中央が、「今に世界のホンダになる。」を宗一郎に確信させたドリームE型。その名はホンダ初の4ストロークエンジン「E型」に由来する。宗一郎の予想どおり、ホンダの二輪車メーカーとしての地位を確立する一台となった。

画像: 誰でも楽しく・・・そんな想いが込められた「モンキー」は、もともと乗り物遊園地「多摩テック」の遊具として誕生した。のちに海外ショーで大反響を得て、市販化、新しいトレンドを生むことになった。写真右からZ50Z、Z50M、CZ100、Z100。

誰でも楽しく・・・そんな想いが込められた「モンキー」は、もともと乗り物遊園地「多摩テック」の遊具として誕生した。のちに海外ショーで大反響を得て、市販化、新しいトレンドを生むことになった。写真右からZ50Z、Z50M、CZ100、Z100。

画像: 右はドリームCB450、左はドリーム CB750 フォア。量産車として世界初の並列4気筒OHCエンジンを搭載、ディスクプレーキなど当時としては画期的なメカニズムを投入して、世界の大型スポーツバイク市場に殴りこんだ。

右はドリームCB450、左はドリーム CB750 フォア。量産車として世界初の並列4気筒OHCエンジンを搭載、ディスクプレーキなど当時としては画期的なメカニズムを投入して、世界の大型スポーツバイク市場に殴りこんだ。

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