昭和を駆け抜けた和製スポーツモデルたち。その勇姿を、モーターマガジン社の70年以上にわたる取材記録や当時の写真を基に紹介しよう。今回は、1963年に発売されたホンダ S500と、その後継のS600だ。

S500<AS280/1963(昭和38)年>、S600<AS285/1964(昭和39)年>

平成3(1991)年に世を去った本田宗一郎氏が、本田技術研究所を設立したのは戦後間もない昭和21(1946)年のことだった。ごくつつましいスタートで、まず自転車用の原動機、次いでスクーター、そしてオートバイの生産に進出し、戦後の昭和20年代に雨後の竹の子のように群生した国内のオートバイメーカー間の激しい競り合いに勝って会社を大きく成長させた。さらにオートバイの世界チャンピオンシップレースに進出し、伝統に輝く世界の強豪をなぎ倒してトップの座につくなど、「世界のホンダ」として着々とその地歩を固めていった。

ホンダの最大の特徴は、過去にこだわらぬ高度な先進性で、そのことは日本のモータースポーツが開花する前に早くも鈴鹿サーキットの建設に乗り出したことからもうかがえる。しかし、昭和38(1963)年5月に第1回日本グランプリが鈴鹿で開催されたとき、ホンダ自身には出走させるクルマがまだなかったのは、皮肉な話である。

だが、その前年の東京モーターショーにはホンダとして初めての四輪乗用車(商業車としてはT360があった)市場への進出のさきがけとなる2台のミニスポーツカーが出品され、大いに注目された。それがホンダ S360とS500である。

画像: 全長は3.3m、ホイールベースも2mと、現代の軽自動車よりもコンパクトなサイズ。車両重量も700kgを切っていた。

全長は3.3m、ホイールベースも2mと、現代の軽自動車よりもコンパクトなサイズ。車両重量も700kgを切っていた。

この両車のデビューと昭和39(1964)年8月のドイツGPから始まるホンダのF1挑戦とは密接な関係がある。F1マシンもSシリーズ スポーツカーも、実はオートバイのチャンピオンシップレースで得られた重要なノウハウを四輪部門に転用し、さらに大きな発展を見せようとするホンダの偉大なポリシーの一貫だったからである。それは、Sシリーズの基本レイアウトに反映されている。S360/500のユニークなチェーンケースを用いた後輪駆動メカニズムが、オートバイ的発想であることは改めて言うまでもないだろう。

ホンダの四輪車部門への進出計画は昭和35(1960)年頃からスタートしたという。当時、本田宗一郎社長はロータスエリートに乗っていた。レーシングエンジン(F1用を含む)であるコヴェントリークライマックスのSOHCタイプの4気筒エンジンを搭載し、これまたレース用のZF製のギアボックス付きのこのモデルが、ある程度ホンダ Sシリーズの発想にも影響を及ぼしたと見ても差し支えないだろう。

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