昭和を駆け抜けた和製スポーツモデルたち。その勇姿を、モーターマガジン社の70年以上にわたる取材記録や当時の写真を基に紹介しよう。今回は、1965年に発売された、プリンス スカイライン2000GTだ。

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プリンス スカイライン2000GT<S54型/1965年(昭和40年)>

初代スカイラインのデビューは昭和32(1957)年4月。どちらかというとアメリカンなスタイリングを盛り込んだボディが印象的だったが、後輪はド・ディオン アクスルを採用するなど技術的な先進性が十分にうかがえるモデルだった。

そのフルモデルチェンジは昭和38(1963)年9月で、スタイリングは一転してオーソドックスなヨーロピアンルックへと変貌していた。このスカイライン1500(S50D-1)は、激烈な販売競争が始まっていた1.5Lクラスへのプリンスの切り札として投入されたモデルで、従来の1900はグロリアシリーズに移し、1500のみとなった。エンジンはG1型と呼ばれる直4のOHVで排気量は1484cc(ボア75×ストローク84mm)。最高出力は70ps/4800rpm、最大トルクは11.5kgm/3200rpmを発生した。

画像: 「スカG」のベースとなったS50系もファミリーセダンの秀作だった。フロアシフト4速MTやタコメーター、LSDなどのスポーツキットも用意されていた。

「スカG」のベースとなったS50系もファミリーセダンの秀作だった。フロアシフト4速MTやタコメーター、LSDなどのスポーツキットも用意されていた。

シャシはそれまでのド・ディオン リアアクスルをやめ、平凡な半楕円リーフリジッドアクスルとなったが、グリスアップポイントをシールし、3万kmは給脂不要なシャシとするなどの新機軸が盛り込まれていた。またスポーツキットを設定したことも目新しく、4速フロアシフトを設定、さらに回転計、リミテッドスリップデフ、リクライニングシートなどが含まれており(スポーツキットは18万8000円、車両本体価格は73万円)、実はこのオプション設定がスカイラインGT誕生の伏線のひとつだった。

もうひとつの動機は、昭和38(1963)年の第1回日本GPでプリンスチームが惨敗したことにある。この第1回日本GPで各メーカーはモーターレーシングが販売に及ぼす影響に一驚したのだった。要するに昭和39(1964)年3月にデビューしたスカイラインGT(S54-1)は、日本グランプリレースで勝つことのできるマシンとして鋭意開発されたのだ。

ベースになったのはS50D-1で、そのホイールベースを155mm、全長を200mm延長し、全高は25mm低められた(ホイーベース2590mm、全長4225×全幅1495×全高1410mm)。その延長分のほとんどがエンジンルームの前後長の引き伸ばしに充てられた。ここにグロリア用のG7型直6エンジンを、いわば強引に押し込むためである。

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