文: 石橋 寛/写真: RM Sotherbys
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内燃機関のハイパーカー、最後の記念碑か
クルマの歴史を振り返るとき、時折、作り手の「執念」がそのまま形になったような、作品に出会うことがあるかと。電動化や環境規制の荒波が押し寄せ、スーパーカーの定義が激変しつつある現代において、アストンマーティンが世に送り出した究極のハイパーカー『ヴァルキリー』、そして世界限定わずか85台のオープンモデル『ヴァルキリー・スパイダー』こそ、内燃機関の歴史の頂点に君臨する、一種の「狂気」を孕んだ記念碑と言えるでしょう。その誕生の背景には、F1界の天才エンジニアの野心と、アストンマーティンの現場エンジニアたちの血の滲むようなドラマが隠されているのです。

ヴァルキリーのクーペ仕様に続いて2024年にリリースされたヴァルキリー・スパイダー。世界限定85台は発表前にすべて売り切れたとのこと。
2016年当時、アストンマーティンとレッドブル・レーシングは、単なるスポンサー枠を超えた緊密な技術開発提携「イノベーション・パートナーシップ」を結んでいました。ここから始動したのが、F1の厳しいレギュレーションから解放された、究極の市販ロードカーを作るプロジェクト「AM-RB001(後のヴァルキリー)」でした。総指揮を執ったのが、レッドブルF1の最高技術責任者(CTO)であり、空力の天才として知られるエイドリアン・ニューウェイ。彼が描いたのは、既存の概念を覆す、妥協を排したパッケージングでした。特に驚異的なのは、ボディボトムの空力設計で、車体底面に巨大なベンチュリトンネルを配置、F1マシンさながらの強烈なダウンフォースを発生させる構想。当然、乗員スペースは極限まで絞り込まれ、足元が高く持ち上げられるという、ロードカーとしては常識外れのレイアウトが余儀なくされたのでした。

F1よりも多い1100kgものダウンフォースを生む空力デザイン。ニューウェイとアストンの執念が結晶したもの。
しかし、2020年にアストンマーティンは大富豪ローレンス・ストロール氏に買収され、自社ワークスチームとしてF1へ参戦することを決定。すると、ライバルとなったレッドブルとの共同開発契約は2020年末をもって打ち切りという憂き目に。当然、ライバルチームの機密に触れるわけにはいかないため、ニューウェイ氏がアストンの開発現場の最前線で指揮を執ることは不可能となりました。現場に残されたのは、ニューウェイ氏が遺した「完璧だが、あまりにも過激で、実現不可能なほどに妥協のない設計図」だけだったのです。
「天才がいなくなったら終わり」は許されない
2020年以降、ヴァルキリー・プロジェクトは、その美しい理想をナンバーの付く「市販車」へと適合させるという、泥臭く過酷なフェーズへと突入しました。ニューウェイ氏の設計は、速さを極限まで追求するあまり、市販車としての現実的なハードルをすべからく無視していたとされています。いざ実車を組み立てて公道を走らせようとすると、騒音、排ガス、熱対策、そして複雑を極めるアクティブサスペンションの制御など、無数の技術的難題(バグ)が噴出したのも致し方ないかと。

6.5リッターV12+モーターによりシステム合計1155馬力を発揮。ウェイトパワーレシオは0.95kg/psという超モンスター級。
一時はアストンマーティンを破産寸前に追い込んだとも噂される莫大な開発コストと時間が、この適合化のために費やされたとのこと。しかし、アストンマーティンのエンジニアたちは「天才が去ったから作れなかった」という汚名を着せられるわけにはいきません。英国の老舗ブランドとしての意地とプライドを懸け、彼らは難題を力技と執念で解決、ついにヴァルキリーをナンバー付きのロードカーとして成立させたのでした。

基本的にクーペと同じ風景のコックピット。ただし、ニューウェイの設計は空力優先でかなりタイトな空間に仕上がっているとのこと。
最高速度は350km/h以上
こうして迎えた2021年、両社の関係が切れた後に発表されたのが、今回ご紹介している「ヴァルキリー・スパイダー」です。クーペの基本設計を引き継ぎながらも、ルーフを切り落とすという行為は、空力特性やボディ剛性を劇的に変化させてしまいます。アストンマーティンは独自に、ドアの開閉機構をフロントヒンジのバタフライドアへと変更し、また、カーボン製のルーフパネルを新設計。これにより、クーペと同等の圧倒的な空力性能を維持することに成功したとされます。

アストンのエナメルロゴは薄いアルミ板に変更。ここにも偏執的なほどの軽量化へのこだわりが垣間見えます。
ミッドに搭載されるのは、コスワースと共同開発した6.5リッターV型12気筒NAエンジン。最高回転数は1万1100rpmに達し、ハイブリッドシステムとの組み合わせで合計1155馬力を発揮。その結果、0-60mph:2.5秒、最高速はカーボンルーフ装着時で350km/h以上、オープンでも330km/hを達成。また、シルバーストン・サーキットのプロダクションカーラップレコードを塗り替え、1分56秒42という他の公道走行可能なプロダクションカーよりも10秒以上速いタイムを記録しています。これにはニューウェイご自慢の空力性能も奏功しており、アクティブ空力要素と車体下のオープンベンチュリトンネルを組み合わせて最大1100kgのダウンフォースを生み出すとされ、これはF1のレベルをはるかに超えたスペックです。

世界最小/最軽量にこだわったブレーキランプもニューウェイ設計によるパーツ。まさに、猛スピードで疾走する芸術品といえるでしょう。
皮肉なことに、2025年にエイドリアン・ニューウェイ氏はアストンマーティンF1チームへ正式に加入することになりました。かつて一度は袂を分かち、すれ違いの時代の中で互いの執念をぶつけ合って完成させたヴァルキリー・スパイダー。それは、天才の遺産をアストンのエンジニアたちがド根性で形にしたからこそ、より深いドラマを生んだと言えるのではないでしょうか。そんな「内燃機関が到達し得た最高の芸術品」と称されるヴァルキリーだけに、375万~425万ドル(約6億から6億8000万円)というオークションでの予想落札価格は大方のクルマ好きが納得するものに違いありません。

バードアイでは、フロントからの抜けや、リアウィングへの導風ルートが理解しやすいはず。また、キャビンの横幅が狭いことも見て取れます。

F: 265/35 ZR20 R: 325/30 ZR21のミシュラン・パイロットスポーツ・カップ2を装着。ホイールはマグネシウム合金とされています。


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