昭和を駆け抜けた和製スポーツモデルたち。その勇姿を、モーターマガジン社の70年以上にわたる取材記録や当時の写真を基に紹介しよう。今回は、1965年に発売された、トヨタ スポーツ800だ。

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トヨタ スポーツ800<UP15型/1965年(昭和40年)

鈴鹿500kmレースの第1回は昭和41(1966)年1月に開催されたが、これは日本における長距離レースの第1回でもあった。このレースには当時の日本のスポーツタイプのクルマのほとんどすべてがエントリーしていた。トヨペット コロナ、プリンス スカイライン、そしていすゞ ベレットなどだが、ヨーロッパの名門スポーツカー、ロータス エランの姿もあった。そしてこうした(相対的な)大排気量車に混ざって出走していた一群のトヨタ スポーツ800の走りっぷりが、観客の注目を集め始めた。

画像: FRP製のデタッチャブル式ハードトップを外した状態のリアビュー。リアウインドーにも曲面ガラスを採用していた。

FRP製のデタッチャブル式ハードトップを外した状態のリアビュー。リアウインドーにも曲面ガラスを採用していた。

少なくとも1回は給油のためのピットインを行う大排気量車と対照的に、スピードこそ遅いものの、特製の69Lガソリンタンクを備えたスポーツ800はピットインなしに走り続け、じりじりと順位を上げ、さらにチームメイト同士で行うスリップストリーム(先行車の後にぴったりつける)走行により無駄な燃料消費を抑えるなど巧みな作戦により、終盤2、3位に順位を上げ、さらにはトップを行くロータス エランの故障によりトップに躍り出るや、そのまま1、2位を占めて優勝してしまった。観客は事の意外さにあっけにとられた。

そしてこのエピソードが、トヨタ スポーツ800(ヨタハチとかドタハチ、エスッパチの愛称があった)の最大の特徴のいくつかをはっきりと示してくれる。極度に軽量化したエアロダイナミックボディによる空気抵抗の減少、そして小排気量ながら安定した、息の長い走行で、より強力なライバルを抑えて逃げ切ってしまう。こうした性格のスポーツタイプは当然世界でも珍しい存在だった。

トヨタ スポーツ800の原型は、昭和37(1962)年の第9回東京モーターショーに、「パブリカ スポーツ」の名で参考出品されたモデルである。そのスタイリングは、ダットサン110/210型で毎日工業デザイン賞を受けた佐藤章蔵氏の手になると言われている。このプロトタイプは第二次大戦中の戦闘機のような、後方にスライドするキャノピー(天蓋)が特徴だったが、生産型では雨天の際の不便さ、乗降の不都合(とくにスカートを履いた女性の)を考慮して通常のドアに改められている。

画像: トヨタ スポーツ800の原型となった、パブリカスポーツ。スライド開閉式のキャノピーが特徴的(撮影車はレプリカ)。

トヨタ スポーツ800の原型となった、パブリカスポーツ。スライド開閉式のキャノピーが特徴的(撮影車はレプリカ)。

しかし、きわめて簡素なフロントグリル(開口部にはディフレクター兼ガードが一本だけ)、オーバーライダーだけのバンパー、無駄のない曲面構成のボディなど、デザイナーの主張がそっくり生産型に引き継がれている。

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