文: 石橋 寛/写真: RM Sotherbys
▶▶▶写真はこちら|マルボロ仕様のルノー「5ターボGr.4」(画像11枚)
本人が望んだわけではない、アラン・プロストのラリー参戦
かつて、プロフェッサーと称されたF1パイロット、アラン・プロストは一度だけ公式ラリーを走ったことがありました。個人スポンサーだったマルボロと、5ターボを宣伝したかったルノーの思惑が重なり、伝説的なラリーカー「5ターボGr.4」を駆ったのです。マシントラブルによってリタイアに終わっているものの、プロストの参戦は当時のF1勢力図を大きく変えかねない可能性を含んでいたのでした。
1982年当時、27歳のプロストは、フランスの期待を背負うルノー・ワークスF1チームのエースとして君臨していました。すでに5勝をあげていた彼に対し、ルノーの首脳陣はある特別なミッションを課します。ちょうどこの1982年秋、ルノーは内装の簡素化やスチール製ボディへの変更によってコストを抑え、より広い市場をターゲットにした「5ターボ2」を発表。そのローンチをバックアップするため、オフシーズンに現役F1ドライバーを国内ラリーにスポット参戦させるという、プロストにとってはさほど嬉しくもないミッションだったのです。

プロストが生涯1度だけ公式ラリーを闘った5ターボGr.4。クラッシュ&リタイアしたものの、大きな爪痕を残しています。
ここで、モータースポーツの歴史に詳しい方なら、ある違和感に気づくはず。当時のルノー・ワークスといえば、フランスの国営石油会社「elf」のコーポレートカラーが絶対の定番。しかし、このプロストが駆った5ターボは、鮮烈な赤と白の「マルボロ」カラーを纏っています。

おなじみの黄色いエルフカラーを纏ったこちらは、1980年にワークスドライバーのジャン・ラニョッティが駆ったマシン。
これは、プロストがルノーF1に在籍しつつも、個人スポンサーとしてマルボロ(フィリップモリス社)から巨額の資金援助を受ける特殊な契約形態にあったため。このあたりの柔軟性というか、大らかさこそ1980年代モータースポーツの醍醐味かもしれません。

プロストの後は別のドライバーがツール・ド・コルスなどWRCに参戦したものの、レストア後はプロスト仕様に再現された模様。
天才ドライバーたる所以を見せつけるも……
この特別なプロジェクトを裏で支えたのが、元フランス・スーパーツーリスモ王者のダニー・スノーベック率いる「スノーベック・レーシング・サービス」でした。当時のルノー・スポールは、WRCへの対応やワークスマシンの開発で手一杯。そこで、信頼のおけるサテライト・ファクトリーとして、スノーベックにビルド&プリペアを託したのです。のちにセアトのWRCエンジン開発なども手がけることになるスノーベックの技術力は、すでにこの時点でルノーから絶大な信頼を得ていたわけです。
そうして、1982年10月29日、フランスラリー選手権の最終戦「ラリー・デュ・ヴァール」。ゼッケン5をつけたマルボロカラーの5ターボがスタートラインに立ちました。普段、超精密なF1マシンをミリ単位でコントロールしているプロストにとって、グリップの低い荒れた路面をスライドさせて走るラリーは未知の領域でしたが、そこは天才ドライバー。第1ステージで早くも並み居るラリーのスペシャリストたちに割って入り、総合7位タイという驚異的なタイムを叩き出します。
ところが、ステージが進むにつれて天候は悪化し、路面は大雨によってヘビーウエットへ。さらにここで、最悪のメカトラブルがプロストを襲いました。彼のリクエストで特別にカスタムされていたアクセルペダルが、あろうことか「戻らなくなる」という症状を発生させたのです。パワーが抜けない状態のまま、水浸しのツイスティなコーナーへ進入した5ターボ。必死のコントロールも虚しく、マシンはコースアウトして激しくクラッシュ。プロストにとって最初で最後のラリー挑戦は、ここで呆気なく幕を閉じました。

1982年のフランス国内ラリーに参戦中のプロスト。ペダルのトラブルさえなければ、入賞していたかと思うと微妙な気分になりますね。
「危険アクティビティ禁止条項」の厳格化へ
幸いにもプロストに怪我はありませんでしたが、エースの危機に肝を冷やしたルノーF1チームの首脳陣は、以後「F1ドライバーが、怪我のリスクが高いラリーや他のレースに参戦すること」を厳禁としました。現代のF1では当たり前となっている、ドライバー契約書内の「危険アクティビティ禁止条項」の厳格化は、まさにこのプロストのクラッシュが決定打となったのです。
のちに4度の世界王者に輝くプロストのキャリアが、もしここで断絶していれば、その後のF1の勢力図は全く異なるものになっていたはずで、セナとの対決だって見られなかったことでしょう。
クラッシュ後、このシャシーナンバーC0000027はスノーベックの手によって完璧に修復され、その後はプライベーターの手でツール・ド・コルス総合7位などの輝かしい実績を重ねました。しかし、このマシンの本質的な価値は、リザルトだけで測れるものでもありません。

ラリー仕様のむき出しなインテリアながら、ダッシュやステアリングなどは5ターボ2のパーツを流用。初代5ターボでは例の真っ赤なパネルが残っていました。
エルフではなくマルボロを纏い、現役のF1エースがラリーを走ることができた、あの熱く大らかだった時代の「最後の境界線」に存在したマシンであること。20万~25万ユーロ(約3600万~4500万円)という予想落札価格には届かずに流れてしまったものの、その歴史的な重みこそ、私たちクルマ好きが注目すべきポイントではないでしょうか。

ルノー5のFFコンポを無理やりミッドシップに改造したのがよくわかります。車内への熱が半端なかったのは有名なエピソード。

5ターボ2といえば、ゴッティのホイールがド定番。ですが、ラリーで使用されたのはルノーが用意した純正タイプだったかもしれません。

詳しくは公表されていませんが、プロストがあえてカスタムさせたアクセルペダルは標準仕様に戻されています。



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