時代が大きく変わろうとしていた1960年代最後の年。一台のスポーツカーが日産自動車から誕生した。日本名フェアレディZ、北米名DATSUN240Z。それまでのスポーツカーのイメージを書き換えた稀代の名車は、今も根強い人気を誇っている。(この記事は2017年5月10日発売の「ホリデーオート6月号」より一部抜粋して構成しています)

日産ブランドを高める切札として開発に着手

1960年代中盤、ダットサンは着実にアメリカ市場で認知度を高めていた。しかし、欧州メーカーと比べるとブランド力で及ばない。ダットサンのブランド力を高めるにはスポーツカーが必要と感じた片山豊・アメリカ日産社長は、ジャガーやポルシェの性能を半分の価格で実現する構想を立て社内の説得に回る。

開発にGOが出たのは67年。ロングノーズのファストバックボディに6気筒エンジンを搭載したS30型がアメリカデビューするのは3年後のことだ。車名には「究極」を意味するZが付けられ、ダッツン・ズィーの愛称で熱狂的なファンを獲得していくのだが、ポルシェ911やジャガーEタイプが6000ドルした時代に3596ドルで性能的にも遜色なかったのだから、これも当然だったろう。

画像: 日本はもちろん、特に北米で熱狂的に迎えられたダットサン240Zは、2.4ℓSOHC→2.6ℓSOHC→2.8ℓSOHC(写真)へと順次排気量を拡大していった。

日本はもちろん、特に北米で熱狂的に迎えられたダットサン240Zは、2.4ℓSOHC→2.6ℓSOHC→2.8ℓSOHC(写真)へと順次排気量を拡大していった。

フェアレディZが日本での販売を開始したのは、1969年10月。エンジンはアメリカ仕様の2.4ℓに対し、日本では税制に合わせて2ℓが選択されている。

画像: 日本でのみ発売された2ℓ直6DOHCエンジン搭載車が「Z432」。最上級グレード、かつレース参戦用ベース車という位置づけだった。

日本でのみ発売された2ℓ直6DOHCエンジン搭載車が「Z432」。最上級グレード、かつレース参戦用ベース車という位置づけだった。

直6のL20(T)型SUツインで130psだからパワフルとは言えなかったが、69年に7ベアリング化されスムーズになっていたし、何より耐久性・整備性が高く、所期の性能を維持しやすいメリットがあった。これにモノコックボディと4輪ストラットサスペンションという近代的なシャシを組み合わせることで、スポーツカーの名に恥じない走りを実現したのだ。5速MT(または4速MT)を駆使してワインディングを駆け抜ける楽しさは、スペシャリティカーが全盛だった当時の国産車の中でも群を抜いていた。

画像: 1974年には後席を追加して4人乗りとした「2by2」も発売された。

1974年には後席を追加して4人乗りとした「2by2」も発売された。

アメリカ仕様は74年に260Z、75年に280Zと排気量を増して環境対応による出力低下に対応していくが、国内仕様は75年にEGIを採用するものの、最後まで2ℓを採用し続けた。一方で、4シーターZを望む声も多く、74年にはホイールベースを300mm伸ばしてリアシートを設けた2by2が登場する。車重が150kg増えたので動力性能は2シーターに及ばなかったが、リアにスペースを持ったことによる実用性の向上は大きく、それまで2シーターだからと諦めていたユーザーを取り込む大きな力となっていく。(第一話その2に続く)

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