
ミケロッティの手による美しいスタイルを持つプリンス・スカイラインスポーツは、1960年 11月の第 42回トリノ・ショーで初披露された。

1961年 10月の第 8回東京モーターショーにも出品され、人気を独占した。イタリアン・デザインを用いた、初めての国産車だった。
プリンス・スカイラインスポーツは、ミケロッティの手によりデザインされた、最初の国産車と言われています。ベースとなったクルマはグロリアで、エンジンもグロリアと同じ、GB4型(直4・1862cc)が搭載されていました。しかし、吸気系が変更されており、最高出力は94psに増強されていました。前輪はウイッシュボーン/コイル独立懸架、後輪はドディオン・アクスルを採用。先述のエンジンと接地性に優れた足まわりは、当時の日本車の最速となる 150㎞/hの最高速度を支える原動力となりました。

ステアリングはナルディタイプ。タコメーターは装備されていなかった。シフトレバーは当時のスタンダードであるコラム式。

エンジンは直4・OHVの GB4型(1862cc)。グロリアと同じエンジンだったが、3psのパワーアップが図られている。
価格はクーペ(5人乗り)は 183万円、コンバーチブル(4人乗り)は 195万円。これはクラウンの 2倍、ブルーバードの 3倍という価格で、とても庶民の手が届くものではありませんでした。このクルマは、登場からわずか2年後にひっそりと姿を消します。生産台数はわずか60数台と、人気があり売れたスポーツカーではありませんでした。ですが、その優れた内外装のデザインはその後の国産スポーツカーに大きな影響を与えたことは間違いありません。
プリンス・スカイラインスポーツ(クーペ)主要諸元
■全長4650×全幅1695×全高1385㎜(コンバーチブルの全高は1410mm)
■ホイールベース:2535㎜
■車両重量:1350kg(コンバーチブルは1365kg)
■トランスミッション:4速MT
■サスペンション形式:前=ダブルウイッシュボーン(コイル)/後=ドディオン・アクスル(リーフ)
■エンジン:GB4・直4OHV 1862㏄

コンバーチブル(左)とクーペ(右)のツーショット。コンバーチブルの価格は195万円で、現在の貨幣価値で換算すると 2000万円ほど。かなり高価なクルマだった。