ここまで5回にわたって歴代シビック タイプRの開発者に「いまだから語れる開発の舞台裏」と題して、独占インタビューを敢行。短期集中連載をお届けしてきた。そして最終回はホンダ「タイプR」の生みの親でもある上原繁氏に、なぜタイプRブランドができたのか? その背景と当時の開発の舞台裏をうかがった。
PROFILE
上原 繁 Shigeru Uehara
ホンダ NSX タイプR(NA1/NA2)、インテグラ タイプR(DC2)開発責任者
1947年生まれ。1971年に本田技研工業(株)入社。第6研究ブロックでESV操縦安定性の研究を担当。約13年に渡って4輪の開発部門で車両の操縦安定性の研究開発に従事する。その後、1985年からミッドシップ研究プロジェクトLPL(機種開発責任者)となり、1990年に発表となるNSXのLPLを担当。1995年にはインテグラタイプRのRAD(商品統括責任者)に。さらに1999年発表のS2000、MC後のNSXのLPLを兼任。2007年に(株)本田技術研究所を退社。趣味はギター、油絵、ジム通い。
NSXの開発にあたり意見が2つに分かれる
ホンダが自動車メーカーとして地盤を固め、世界から認められたのが1980年代である。当然、フラッグシップとなるイメージリーダーに位置づけられるクルマも必要になってきた。そこで技術の粋を集めたミッドシップ方式のスーパースポーツカーの開発に乗り出したのだ。
ゴーサインを出したのは、その当時、本田技術研究所の社長だった川本信彦さんである。90年にホンダの4代目社長に就任した川本信彦さんは根っからのレース好きだ。第1期ホンダF1に深く関わったこともあり、レーシングカーだけでなくスポーツカーも好きである。だからホンダならではの、新世代のスーパースポーツをクルマ好きのために造りたかった。
最新テクノロジーを駆使したスーパースポーツカーは「NSX」と名付けられた。ラージ・プロジェクト・リーダー(LPL)には上原繁さんが抜擢された。
「NSXの開発にゴーサインが出たとき、ホンダからどういうスポーツカーを発信するか、開発メンバーを集めてコンセプトミーティングを開きました。一致したのは、“世界中のどこにもない、ホンダらしいスポーツカーの創造”です。
ですが、実はメンバーの意見は大きく2つに分かれました。ひとつはハイテク装備を満載した快適
なホンダスポーツです。エアコンや電動パワーステアリング、ABS、4輪操舵の4WSなど、いろいろなデバイスを付け、人間にとって快適なスポーツカーに仕立てる。これがホンダらしいと考えたのです。
この“シルバー派”に対し、F1の血を引くホンダのスポーツカーなのだから、フラッグシップにふさわしい高性能を追求しようという考え方の“レッド派”がいました。こちらはエンジンのパワーを追求し、快適装備を排して軽量化を徹底的に行おう、という究極のスポーツカーを目指そうというものでした。
だが、川本さんを中心とするホンダの首脳陣は、本物のスポーツカー、世界一のベストハンドリングカーを目指すなら、快適性はおろそかにできないと考えていました。本田宗一郎さんは、常々、クルマは人に仕えるためにある、と説いていたからです。だからNSXも、ソフィスティケートされた、快適なスポーツカーを目指しました」
と、上原さんは、NSXを開発していた当時を振り返る。
ホンダの創設者である本田宗一郎さんもレーシングカーとスポーツカーが好きだった。これらのクルマは、人間の走る本能を吸い出してくれる道具だ。だから寝食を忘れて、開発と熟成にのめり込んでいくことになる。
NSXにはアルミ素材の採用にとことんこだわる
上原さんたちは、徹底的に軽量化するためにモノコックの骨格からボディまで、オールアルミにしようと考えた。ボディだけでなくサスペンションも、リアのサブフレームまで軽量なアルミ素材だ。その生産では困難なことが数知れずあったという。しかし、これによりパワーシートやABSを装備しながら車両重量は1350㎏(5速MT車)に抑えられている。
パワーユニットは2977㏄のC30A型 V型6気筒DOHC VTECだ。ターボなどの過給器に頼ることなく当時の自主規制値いっぱいの280㎰/30㎏mを達成した。
NSXは「汗をかかないスポーツカー」や「快適F1」をキャッチフレーズに掲げ、開発されている。今はスポーツカーであってもエアコンやパワーステアリングなどの装備は標準だ。2ペダルのAT車も珍しくはない。また、SRSエアバッグやABSなどの安全装備を採用するのも常識である。だが、80
年代のスポーツカーはそうではなかった。ポルシェもフェラーリも、ドライバーと同乗者に我慢をさせ、性能を引き出させていたのである。快適性は重視していないから、非力な女性や初心者はうまく操れなかったし、同乗者は苦痛だった。
「NSXは、誰にでも高いレベルにある性能を引き出すことができ、しかも人間の感性に合った快適なスポーツカーなのです。人間との距離が近い、新世代のスポーツカーを目指し、人車一体のいい関係を築きました。快適性もスポーツも犠牲にしない、これがNSXの原点なのです。
しかし、汗をかかない、誰にでも運転できる安全なスポーツカーと言ったら一部のジャーナリストから反論されました。当時、日本のジャーナリストは『スポーツカーとしては甘め』と評価しましたね。ヨーロッパのジャーナリストに乗せると、『アルミまで使って軽量化したのにもったいない』、と言われました。
鈴鹿サーキットでNSXオーナーズミーティングを開催しましたが、そのときもオーナーから思い切りサーキットを走らせられるクルマを…、と言われました。そこでレッド派の開発陣が主張する、究極のNSXを設計してみよう、となったのです。これが“タイプR”です。
“快適F1”を目指した最初のNSXには
まだポテンシャルがあると評論家に言われた。
そこで快適性を捨ててサーキットの走りを追求した
「タイプR」が生まれた。
チームで走り好きな人たちを集め、部品を剥ぎ取って軽量化しました。最終的にボディだけで120㎏もの軽量化に成功しています。これを走らせてみたら、サーキットでも面白かった。剛性が心配でしたが、重いものを外すことが中心だったので剛性は変わらないのです。むしろ軽量化したから、剛性感はアップしていました。あのドイツのニュルブルクリンクにも持ち込みましたが、ボディ補強なしで思いのほか乗りやすく、いい走りを見せてくれたのです。
NSXは快適で高性能なスポーツカーを目指しましたが、どこで快適なのか、高性能なのかが大事なのです。92年秋に投入したタイプRはサーキットで真価を発揮するクルマでした。これに対し97年にリリースしたタイプSは、ワインディングロードで高性能がわかるクルマに仕立てています。標準モデルは走るステージに関わらず、快適で高性能なのです」
と、上原さんは、それぞれの個性の違いを述べた。
快適装備を削り、バンパービームなどもアルミに置き換え、スポイラーはカーボン製だ。オートエアコンやオーディオも外し、さらに軽量化したのがタイプRなのである。サスペンションやトランスミッションのギア比もサーキット走行を意識したものに最適チューニングした。言うまでもなく、タイプRが冠する「R」はレーシングの頭文字で、レーシングカーに近い性格のクルマとなっている。
「タイプRを出すとき、グレード名を検討しました。開発チームは、迷うことなく“タイプR”と言ってきたのです。営業サイドなどから“タイプS”を推す声も上がりましたが、開発チームがかけた情熱はタイプSレベルじゃないので却下しました(笑)。営業の人間には、『営業をして売るクルマじゃないので、お客さまに無理に勧めるな』と言ったことがあります。さらに『タイプRは、実力を認め、欲しいと思う人だけに買ってほしい』とも。」
身近なリアルスポーツとして“インテグラ タイプR”を開発
「95年の秋、タイプRの第2弾として、インテグラにタイプRを設定しました。これはNSXタイプRのスピリットを継承するスポーツモデルです。『もっと身近なレーシングスポーツが欲しい』、という若者の声に応えて出しました。
既存車種だからゼロからスタートする訳にはいきません。それでもボディを軽量化しサスペンションを固めて、サーキット寄りの味付けとしています。パワーユニットは1.8LのB18C型直列4気筒DOHC VTECです。エンジン部門は頑張ってくれましたね。最終的には200㎰ を達成できました。こういうスポーツカーは中辛じゃダメなんです。クルマづくりは甘口か辛口、もしくは激辛! そうした方が意外に人気が高いのですよ(笑)。
ジャーナリストの中には、頑なに『FFの高性能スポーツは認めない』、という人もいました。ですが、インテRはアクセルを踏んでもアンダーステアに悩まされないのです。ヘリカルLSDを上手に使い、意のままに操れる楽しいクルマに仕上げました。また、チャンピオンシップホワイトのボディカラーや赤いホンダマークなど、NSXのタイプRと同じ記号性を持たせています」
と、タイプRに対する強いこだわりを語っている。
上原さんがビークルダイナミクスにこだわるのは、リサーチプロジェクトに籍を置き、ハンドリングをつくっていく仕事をしていたからだ。走る、曲がる、止まるの「曲がる」を担当し、シティをベースにしたアンダーフロア・ミッドシップのUMRやCR-Xのミッドシップカーにも深く関わった。
S2000にタイプRの設定がなかった真相とは…
ところで読者にとって気になる疑問点は、上原さんが手がけたS2000にタイプRが用意されていないことだろう。
「簡単です。タイプRを生み出せるクルマではなかったから開発しませんでした。S2000はオープンで気持ち良く走るためのクルマです。オープンカーでも剛性は高い。ですがタイプRを出すなら、クローズドボディでやることになったでしょう。
そしてこの時期、私は化粧直しを行う後期型のNSXを手がけていました。2001年に固定式ヘッドライトを採用して登場しましたが、第2世代のタイプRも同時に開発しています。
エンジンは3179㏄のC32B型DOHC VTECで、6速MTの組み合わせです。エンジン以外で性能アップできるところを探り、エアロダイナミクスとダウンフォースにこだわりました。フロントをマイナスリフトにし、リアはスポイラーでバランスを取り、全域でコントロール性を向上させています。アンダーステアは大幅に減っているから、こちらの方が運転しやすいと感じるはずです」
と、その狙いを語った。
最後にホンダスポーツの、そしてホンダのタイプRのこれからについて語っていただいた。
「今の時代はターボが良くなっているし、トランスミッションではデュアルクラッチのDCTを使えます。開発しているとき、DCTがあったら迷わず採用していましたよ。でも、メカニズムが勝ったクルマはダメですね。機械と人間が馴染むクルマじゃないと安心して楽しめません。人間に近づけるか、融合させるか、これが大事なのです。タイプRは単独では開発できません。素性の良いベース車があり、これをスープアップしてレースコースを走れるバージョンにしたのがタイプRになります。しかし、人間が扱える範囲を超えてはいけないと思いますね」
■インタビュー・文:片岡英明
■インタビュー日:2017年2月22日