文:飯嶋洋治
キャブレターとインジェクションの時代背景から追っていこう
クルマは世に連れ、世はクルマに連れ…はないかもしれないが、クルマの進化とともに用語もどんどん変わってくる。一世を風靡したようなクルマ用語もいつしか忘れられ、ごく一部のマニアだけが使うものとなったりしている。どの機構もその当時は、自動車のシステムとして最先端を行くものばかり。限られた技術の中で、より良いクルマを目指した昭和のクルマの心意気(?)の数々と言えよう。
昭和が終わって平成に入って30年。いまではあまり聞かなくなったクルマ用語がけっこうある。その代表がキャブレターだ。採用されなくなった一番大きな理由は排出ガス規制だろう。はじまりは1970年にアメリカで可決されたマスキー法だ。これはエドムンド・マスキー上院議員が提案したもので、当時の排出ガス中のCO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)を大幅に削減するものだった。
排出ガスを原因のひとつとする光化学スモッグが日本でも当時問題視され、マスキー法に準じた国内規制が行われた。これは段階を経て行われたが、特に1973(昭和48)年〜1978(昭和53)年までの規制は、世界一厳しい排出ガス規制と言われたほど。
さらにオイルショックも重なり日本の自動車産業がもっとも苦しんだ時代ともいえる。とにかく規制をクリアしなくてはならないと、点火時期を遅らせて対応していた。そのためにパワーダウンは免れず、自動車ファンにも寂しい時代となったのだ。
そのマスキー法をクリアするためアメリカ勢に先駆けてホンダがCVCCエンジンを開発した。これに端を発して最終的に電子制御式インジェクションが発達、日本車全体が飛躍的な進歩を遂げたのは事実である。これは確かに明るい話題であったのだが、旧来のクルマ好きにとっては残念な面もあった。
それがキャブレターモデルの減少だ。昭和の時代、高性能エンジンに付き物であり、SUやソレックス、ウエーバーに代表される名機たちが姿を消していったのだ。ボンネットを開けた時にキラリと輝くファンネルも憧れの的のひとつでもあった。