■文:遠藤一満/写真:SUBARU
富士重工業時代(1963〜2017年)
水平対向エンジンやAWDなど、自動車メーカーとして独自の地位を得ていくことになった富士重工業。販売台数で勝負するメーカーではないが、スバリストと呼ばれるような熱心なファンを得ていく。その一方で、汎用エンジンなどの身近なところから、ヘリコプター、大型旅客機の主力部品などを手がけていく。戦前からのDNAが連綿と引き継がれているのは、SUBARUと名を変えた現在でも変わらない。
大型機の共同開発から無人機まで精力的に活動
T-34、T1F2など自衛隊の練習機で実績を積んだ富士重工業は、次にヘリコプターの国産化に乗り出す。まず米国ベル社の技術援助を得て生産した小型ヘリUH-1Bが1961年に陸自の制式採用となり、1964年にはその民間型204Bを生産開始。その後、独自の改良を進め、1990年代には80%以上を国産技術としたUH-1J(205B)まで進化して、ヘリコプターのベストセラー機となっていく。
航空機では1965年に誕生したエアロスバルがエポックだ。全金属製の頑丈な機体を持ち、アクロバット飛行にも使える軽飛行機として今も活躍している。
一方、1970年代から国際協力が進む大型機製造分野では、ボーイング社との繋がりを深めていく。747の生産分担から始まり、1974年には767の主翼フェアリングと主脚ドアを、1991年には777の中央翼と主脚扉を担当した。とくに中央翼はボーイング社が米国以外の国で生産する初めてのケースで注目されたが、初号機の主翼・胴体結合を一発で成功させるという前例のない結果を出し、技術力と精度の高さを示して見せた。
続く787では中央翼の開発・製造と主脚格納部を担当。2015年には次期777Xの中央翼を担当と、その技術精度の高さを世界に発信している。
これと並行して無人機の分野でも、無人偵察機や民需用無人ヘリを開発。またJAXA向けの無人超音速試験機の開発にも取り組んでいる。
自動車での成功を基盤に、世界のために高い技術力を生かす
鉄道車両では、国鉄の赤字ローカル線に向けたレールバスがある。既存のバスボディに1軸車台を組み合わせ、エンジンなど主要部品にバス用を流用することで原価を既存ディーゼルカーの3分の1に抑えたものだ。1980年代半ばからは鉄道車両にディーゼルエンジンを積んだ軽快気動車に主力を移し、鉄道事業から撤退する2003年までに合計177両の実績を残している。
またカーブの多い路線での高速化に向けた取り組みで、振り子気道車・2000系を世界で初めて実用化し、技術力の高さを世界にアピールした。
汎用エンジン事業ではロビンエンジンで1970年代をリードした。ロビンは小型軽量高耐久性に加え省エネタイプを投入するなどシリーズを拡大。米国を中心に世界67カ国に輸出され、スノーモビルやジェネレーターなどに広く使われている。ただ2017年10月、自動車部門への注力、経営資源の投入などの理由から汎用エンジンの生産・販売を終了。60年以上にわたる事業に幕を引いた。