静岡県浜松市にある「本田宗一郎ものづくり伝承館」へ行ってきた
あれは、まだ夏の気配も濃い9月のころ。取材旅行の合間に、ぽっかりと数時間の空きができた。そこで最寄りに何かないかと見つけたのが「本田宗一郎ものづくり伝承館」だった。
みなさんご存知、ホンダ創業者の伝承館がなぜ静岡にあるのか。それは現在の浜松市天竜区に本田氏の生家があったからだ。地域の偉人を称えるためにつくられた伝承館であり、地元のNPO法人が運営している。自動車メーカーのホンダとは別の組織のようだ。
東名高速道路を離れ、天竜川沿いを北上。曲がりくねった天竜川を渡った二俣町に伝承館はある。小学校前の駐車場にクルマをとめて、ブラブラと3分ほど歩けば目的地に到着。
まず目を惹くのは、レトロで可愛らしい2階建ての建物。1930年代に作られた旧二俣町役場を改修して、伝承館として利用しているのだ。しかも、国の有形文化財に登録されているという。
入ってすぐにズラリと並んだ、10台弱のバイクたちが目に入る。その多くが1950年代のもので、ホンダ初期のモデルばかりだ。とくに目を奪われたのは「カブF型(1952年製)」。ホンダ最初期の商品は補助エンジン付きの自転車で、F型もそのひとつ。
1馬力のエンジンを後輪の車軸近くに設置して、エンジンの赤いカバー、燃料タンクは真っ白に塗られている。このモデルは発売と同時に大ヒットし、わずか半年で2万5000台も販売されたとか。自転車に、ありあわせのエンジンを取り付けてできた「補助エンジン付きの自転車」だが、A型に始まってB型/C型へと進化、F型ともなると、ずいぶんと洗練されたものになっていく。
また、ホンダ初のオートバイである「ホンダC型(1949年製)」も興味深い存在だ。最高出力3馬力の96ccの2サイクル単気筒エンジンを搭載。車体もホンダのオリジナル品である。
なんとこのモデル、当時、筆者の近所である東京多摩川の河川敷サーキット「多摩川スピードウェイ」で開催された日米対抗オートバイレースにも参戦し、クラス優勝を果たしたというではないか。クラシカルなオートバイの造りも面白いし、自分のよく知っている場所を走っていたというのも身近に感じたポイントだった。
ホンダというブランドの成り立ちを思い出してみるとおもしろい
さらに展示室のあちこちには、本田氏の格言や考え、歩んできた軌跡などのパネルが飾られている。その中に「技術をもって人間に奉仕する」といものがある。つまり、「人を喜ばせる」「人に役立つこと」を常に考えてモノづくりに励んでいたということである。これには“なるほど!”と、思わず手を打ってしまった。
国産自動車メーカーの多くは、ある分野で大きな成功を果たしたした企業が新規事業として自動車づくりを始めている。トヨタは織機、日産と三菱は財閥系、マツダはコルク、スバルは飛行機だった。その中において、ホンダはまったくの個人でスタートしたベンチャー企業だった。
だからこそ、補助エンジン付きの自転車からビジネスがスタートしている。それもオートバイを作りたいからではなく「たまたま軍事用のエンジンが余っていた」、「人が乗り物を求めていた」という理由で開発をはじめたのだ。その延長にオートバイがあり、クルマがある。
だからこそ、今も庶民の足であるカブを作り続けているし、ホンダジェットやアシモというロボットにも手を広げている。「自動車をつくる」ためにできた会社ではなく、「人に役立つもの」をつくる会社。それがホンダというわけだ。この本田宗一郎氏のマインドがあったからこそ、ベンチャーだったホンダは急成長できたのだろう。
小さな伝承館だが、ホンダのルーツに触れたような気分を味わうことができる。
ちなみに、伝承館の隣に清瀧寺があり、歴史好きであれば、こちらも寄ってみることをおススメする。徳川家康公の長男であり、織田信長によって切腹させられた岡崎次郎三郎信康公の廟があるからだ。(文:鈴木ケンイチ)
本田宗一郎ものづくり伝承館
住所:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1112
電話:053-477-4664
開館時間:10:00~16:30
休館日:月・火曜日(祝日の場合は開館し、水曜日を休館日とする)12月29日~翌年1月3日
事務局: NPO法人 本田宗一郎 夢未来想造倶楽部