ポルシェ917が登場して今年で50年を迎える。これを記念してポルシェでは、907_001の復刻、グッドウッドへの参加、ポルシェミュージアムでの特別展示など、世界中で数多くのイベントを企画しているが、「917」とはポルシェにとってどんなモデルだったのだろうか。短期集中連載「ポルシェ917の記憶」最終回となる第4回をお届けする。

ル・マンを連覇するものの短命に終わった

1970年のル・マンを制覇した後、「917」はますます速く強くなっていく。その姿はまさに王者だった。しかし、そのことが自らの命を短くすることにしてしまった。「917」の栄光は意外にもはかなく波乱に満ちたものだった。

1971年はポルシェ917の黄金時代となった。ワークスチームだけではなく、プライベーターたちに供給された「917」はスポーツカーレースで大活躍、もはや「向かうところ敵なし」の状態となっていく。

1971年、ル・マン24時間レースでもその速さは圧倒的だった。規定ギリギリまで排気量がさらに拡大されたエンジンを新たに開発、リアカウルに垂直フィンを搭載したモデルやリアホイールハウスにスパッツを備える「917LH」、空力向上を狙ってワイドボディを採用しピンクピッグと言われた「917/20」などさまざな仕様を用意、その参戦体制でも他を圧倒していた。

優勝はプライベーターのザルツブルグチームが持ち込んだマルティニカラーの「917K」。2位にこの年はワークスとして参戦したジョンワイヤーチームのガルフカラーの「917K」が入り、2年連続で「917K」は1-2フィニッシュを達成することになった。

驚くべきは、圧倒的な速さを持ちながら新しい試みを忘れないことで、直進安定性や最高速、信頼性向上へのあくなきチャレンジが続けれられていた。すべてうまくいったわけではないが、万全の体制でレースにのぞむ姿勢はその後に生きることになる。

しかし、あまりに強すぎると嫌われる。ひとつの車両ばかりが勝ち続けると、レースへの興味は薄れてしまうからだ。レースの主催者は拮抗した戦いを望むものだ。

「917」は1972年のル・マンにエントリーしていないが、それはルール上、締め出される形となったからだ。そこで「917」は主戦場を北米へと移し、オープンボディの「917PA」、ターボエンジンを搭載した「917/10K」、「917/30K」などさらに進化、ポルシェ同士の戦いを繰り広げていく。しかしそんなレースも長く続かず、「917」の主要なレース活動は1973年に終了する。

1969年に誕生し、ポルシェにル・マン初優勝をもらした「917」。ポルシェはその功績に最大の敬意を払ってこのモデルの誕生50年を祝うイベントを開催しているわけだ。(完)

画像: 1971年、この年も優勝したのはショートテールの「917K」だった。

1971年、この年も優勝したのはショートテールの「917K」だった。

画像: 1971年のル・マンを制した22号車マルティニカラーのザルツブルグチーム。

1971年のル・マンを制した22号車マルティニカラーのザルツブルグチーム。

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