ランボルギーニの名声を決定的なものにしたのが「ミウラ」だった。FRレイアウトが常識だった時代、エンジンをミッドに、しかも横置きするなど考えもつかなかった。人々はその美しいデザインに魅せられ、そんな外観とは裏腹の獰猛さに度肝を抜かれた。ミウラはなにもかもが新しかった。

ミウラP400の「P」はエンジン後方搭載を示していた

1965年から66年にかけて、ランボルギーニは次々と革新的なモデルを発表した。「350GTZ(ザガート)」、「350GTS(カロッツェリア・トゥーリング)」、「400GTモンツア(ジョルジョ・ネリとルチアーノ・ボナチーニが開発を担当)」はいずれもプロトタイプに終わっているが、当時の自動車業界に大きなインパクトを与えた。

こうした中、ジオット・ピッザリーニの後を継いだ若きエンジニア、ジャンパオロ・ダラーラとパオロ・スタンツァーニが開発を進めていたのは、本格的なレーシングカーを公道用としたもので、V12エンジンをコクピットの後ろに横置きし、ギアボックスをひとつのユニットに収めた斬新なものだった。逸話によれば、フェッルッチォは即座にこのプロジェクトにゴーサインを出したと言われている。

この斬新なプロジェクトを知ったヌッチオ・ベルトーネはデザインの依頼を快諾、若きチーフデザイナー、マルチェロ・ガンディーニがその役割を担うことになった。

こうして誕生したのが、1966年のジュネーブ・オートサロンでデビューしたミウラだった。最初のミウラは「400GT」用のV型12気筒エンジンを基本に、5速マニュアルギアボックス、デファレンシャル、潤滑システムを一体のケースに収め、これをボディミッドに横置きするという斬新なもので、しかもガンディーニが手がけたスタイリングは「究極の美しさ」と形容される流麗さを身につけていた。

ミウラは当初ショーカーとして開発されていたが、たちまち世界的に爆発的な人気を獲得、P400として登場した後、P400S、P400SVへと進化、幻の名車「イオタ」を生み出すことになる。1966年の登場以来、一刻も早いデリバリーを望む顧客に向けて生産を急いだため、初期モデルの完成度は低かったと言われているが、P400、P400S、P400SVへと進化するごとに完成度を高めて高い名声を勝ち取っていった。

「イオタ」の伝説は今もミステリアスだ。その話はある顧客のオーダーに応えてミウラをベースにしたワンオフモデルを製作したところから始まる。このモデルは当時のレース車両規則「アペンディックスJ」(追加規則J頁)に合わせて開発されたレーシングカーで、特別にチューンされた4L V12エンジンやアルミフレームのボディを持っていた。このモデルは「J」とされたが、この「J」をスペイン語のJOTA(イオタ)にあてて、それを名称としたのが幻の正体だ。

しかし、後にその存在を知った顧客からの要望に応える形で、特別に6台がほぼ同じ仕様で追加生産されることになった。これがミウラ「SVJ」と呼ばれるモデルだ。ところが最初のレーシングカーは顧客に販売された後、事故で消失してしまう。このため今ではオリジナルを含めた7台が一般的には「イオタ」とされるが、イオタ風に製作されたモデルも多く存在すると言われる。

画像: ミウラP400SV。当初ショーカーとして開発されたミウラだったが、あまりの人気に市販が決定。生産を重ねるごとに完成度を高めていった。

ミウラP400SV。当初ショーカーとして開発されたミウラだったが、あまりの人気に市販が決定。生産を重ねるごとに完成度を高めていった。

ランボルギーニ ミウラP400主要諸元

●全長×全幅×全高=4360×1780×1080mm
●ホイールベース=2500mm
●エンジン=V12DOHC
●排気量=3929cc
●最高出力=350ps
●トランスミッション=5速MT
●駆動方式=MR
●生産=1966-1969年
●生産台数=275台

ランボルギーニ ミウラP400S主要諸元

●全長×全幅×全高=4360×1780×1080mm
●ホイールベース=2500mm
●エンジン=V12DOHC
●排気量=3929cc
●最高出力=370ps
●トランスミッション=5速MT
●駆動方式=MR
●生産=1969-1971年
●生産台数=338台 
●最高速=285km/h

ランボルギーニ ミウラP400SV主要諸元

●全長×全幅×全高=4360×1780×1050mm
●ホイールベース=2500mm
●エンジン=V12DOHC
●排気量=3929cc
●最高出力=385ps
●トランスミッション=5速MT
●駆動方式=MR
●生産=1971-1972年
●生産台数=150台 
●最高速=300km/h

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