F1復帰初年度の1983年の最終戦にデビューしたウィリアムズ・ホンダFW09。強豪ウィリアムズチームは、スピリットで復帰していたホンダエンジンのポテンシャルを高く評価していた。そして、ホンダは早くも強豪ウィリアムズにエンジンを供給することになる。F1活動第1期での活躍、第2期参戦前の欧州F2での快進撃によって、世界にホンダの名前は知れ渡っていたのだった。(写真:金子 博)

ホンダF1活動第2期で初めて優勝を記録したマシン

1983年のイギリスGPでデビューしたスピリット・ホンダは、初戦をわずか5周でリタイアした後も成績がなかなか上がらなかった。スピリットのポテンシャルに限界を感じたホンダは、同年1983年最終戦南アフリカGPですでに強豪であったウィリアムズにもエンジンを供給、いきなりケケ・ロズベルグが5位入賞を果たすことになった。

開発に苦しんでいたホンダにとって堅実な手法で台頭していたウィリアムズは絶好のパートナーであり、ウィリアムズにとっては「ターボ新時代」に向けて強力なエンジンパートナーを必要としていた。ホンダがスピリットのポテンシャルに疑問を抱き、ウィリアムズがホンダパワーに可能性を感じる中での、運命的な出会いだった。この1983年最終戦の南アフリカGPでの一戦をきっかけに、1984年、ホンダはスピリットを見限ってウィリアムズとコンビを組むことになる。

こうして幕を開けた1984年、ケケ・ロズベルグは第1戦ブラジルGPで2位入賞を果たすと、レースごとに着実に熟成を深め、第9戦ダラスGPでロズベルグがついに優勝を飾るのだった。これは1983年のF1復帰以来17戦目での「第2期初優勝」であった。

結局1984年はこの1勝だけにとどまったが、ケケ・ロズベルグとジャック・ラフィーがドライブし、それぞれドライバーズランキングで8位と14位、コンストラクターズランキングでウィリアムズ・ホンダは6位を獲得した。

画像: 1983年のHonda RA163Eに続き、1984年はその進化型のHonda RA164Eを投入。当初はターボラグが大きく、扱いにくいものだったが、グランプリ参戦をとおして熟成が進められていった。

1983年のHonda RA163Eに続き、1984年はその進化型のHonda RA164Eを投入。当初はターボラグが大きく、扱いにくいものだったが、グランプリ参戦をとおして熟成が進められていった。

画像: 肉厚でぽってりとしたフロントセクションが印象的。まだ空力に対してそれほど神経質ではなかった。

肉厚でぽってりとしたフロントセクションが印象的。まだ空力に対してそれほど神経質ではなかった。

画像: ドライバーはジャック・ラフィー(左から2番目)とケケ・ロズベルグ(右から2番目)。

ドライバーはジャック・ラフィー(左から2番目)とケケ・ロズベルグ(右から2番目)。

ホンダF1第2期のバックナンバー

ウィリアムズ・ホンダ FW09(1983-1984)

エンジン:Honda RA164E
●排気量:1496cc
●形式:水冷80度V6DOHCツインターボ
●ボア×ストローク:90.0×39.2mm
●圧縮比:未発表
●平均ピストンスピード:14.4m/sec
●最高出力:660ps以上/11000rpm
●バルブ形式:DOHC4バルブ スイングアーム式カムフォロアー
●バルブスプリング:ダブルコイルスプリング
●カムシャフト駆動方式:ギアトレイン
●燃料供給方式:PGM-FI 1インジェクター
●点火装置方式:CDI
●スロットル形式:6連バタフライ式スロットルバルブ

シャシ:Williams FW09
●デザイナー:パトリック・ヘッド
●車体構造:アルミハニカムモノコック
●ホイールベース:2667mm
●トレッド前/後:1803/1626mm
●サスペンション: ダブルウイッシュボーン
●タイヤ前/後:11-13/16-13インチ
●燃料タンク:220L
●トランスミッション:6MT
●車体重量::540kg

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