東京・ベイエリアのクルマのテーマパーク、メガウェブでは2019年7月8日(月)まで「ル・マンに挑んだ日本車」と題して、特別展示を実施中だ。ル・マンに挑んだ日本車の中から、エポックメイキングなモデルを4台紹介していこう。今回は1997年の「日産 R390 GT1」だ。

1998年のル・マンで総合3位に輝く

画像: 当時の日産車のデザインイメージに沿ったフロントグリルが与えられている。

当時の日産車のデザインイメージに沿ったフロントグリルが与えられている。

1990年代後半のル・マン24時間レースは、GTのトップカテゴリーでは市販車とはかけ離れた実質的なプロトタイプカーでの戦いとなった。

1994年に規定されたLM-GT1クラスでは「レース仕様車以外に市販用ロードカーが1台でも製作されていれば車両公認を与える」となったのだ。

そんな中、1995年のル・マンではマクラーレンF1が優勝。ドライバーのひとりは関谷正徳で、日本人初のル・マン総合優勝者となった。

画像: 現代のハイパーカーにも通じるデザインのリアビュー。

現代のハイパーカーにも通じるデザインのリアビュー。

そこで日産は97年からR390 GT1を投入、トヨタは98年からTS020で必勝を期した。だが、ヨースト・レーシングのプロトタイプレーシングカーWSC95(96、97年優勝)やポルシェ911GT1(98年優勝)、BMW V12 LMR(99年優勝)といった最強のライバルたちの牙城を崩すことはできず、R390 GT1は98年の3位、TS020は99年の2位が最高位だった。

画像: コクピットは意外と広い。メーターはデジタル、右ハンドルだがシフトレバーは右に備わる。

コクピットは意外と広い。メーターはデジタル、右ハンドルだがシフトレバーは右に備わる。

ここで紹介しているR390 GT1は、1990年限りでグループCカーでの参戦を取りやめ、95年から市販車ベースのニスモGT-R LMでル・マンを戦っていた日産が、総合優勝を狙って開発したGT1マシンだ。

初戦の1997年は12位にとどまったが、翌98年にはマシンを改良して抜群の安定性を見せ、星野一義/鈴木亜久里/影山正彦の乗るマシンが総合3位に輝き、出走した4台全車が10位以内で完走してみせた。

画像: リアウインドー越しにわずかに見える3.5LのV8ツインターボエンジン。

リアウインドー越しにわずかに見える3.5LのV8ツインターボエンジン。

日産 R390 GT1 主要諸元

年式(参戦年):1997年
全長×全幅×全高:4585×2000×1090mm
ホイールベース:2720mm
車重:1000kg以上
エンジン:V型8気筒 DOHCツインターボ
排気量:3495cc
最高出力:478kW(650ps)以上
ドライバー:星野一義(日本)、E.コマス(フランス)、影山正彦(日本)

画像: ル・マンに挑んだ日本車は、7月8日(月)まで、メガウェブ ヒストリーガレージ1F モータースポーツヘリテージで展示中だ。

ル・マンに挑んだ日本車は、7月8日(月)まで、メガウェブ ヒストリーガレージ1F モータースポーツヘリテージで展示中だ。

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