一足飛びに時速100マイル(160km/h)を達成
ホンダ S800:昭和41年(1966年)1月発売
以前に紹介したように、1964年(昭和39年)3月にS600へと進化したホンダのミニ・スポーツはビジネスに、またスポーツにと幅広い活躍ぶりを示した。さらに64年7月には国際自動車エレガンス・コンクールで入賞を果す“おまけ”もついた。
同年11月(国内は65年2月)にはクーペを追加、こちらはヨーロッパでも人気を得た。さらにデラックス装備のMタイプも加わり、S600は4種のバリエーションで順調な生産・販売が続いた。
しかし、より大きなパワーを求める声も強く、65年秋の第12回東京モーターショーには排気量791ccのS800とS800クーペが出品された。このときの会場にはS600の姿はなく、やがてS800(とS800クーペ)のみのラインアップとなることを予見させた。
S800のエンジンは直4DOHC。ローラー・メインベアリングつきで、S600のボアを54.5mmから60mmへ、ストロークを65mmから70mmに延長したもの。
ケイヒンのCV気化器を各気筒ごとに取り付け、圧縮比9.2で(600では9.5)、最高出力は70ps/8000rpm、最大トルクは6.7kgm/6000rpmを発生した。いずれも発生回転数はS600より500rpmずつ低下している。
車重は710kgと相変わらず軽量で、馬力当たり重量は10.1kg/psを示し、0-400m加速は16.9秒、最高速160km/hと、ついに“本物”のスポーツカーの性能水準に到達した。
しかしS800の輸出仕様は、駆動系が大幅に変更された。世界でも類のないユニークなチェーンドライブをやめ、5リンク・コイルのリジッドアクスルを採用したのである。
これはチェーンドライブがその特殊性ゆえに欧米諸国であまり歓迎されなかったためで、メリットのひとつであった広いトランクスペースを多少犠牲にしても、リジッド化は販売面でメリットがあるとの判断からだった。
構造はコイル&ダンパーユニットで吊られたリアアクスルハウジングの左右に、上下2本のラジアスアームをセットし、これで前後方向を位置決め、ラテラルロッドで左右方向を規制するという標準的なものだが、これにより発進時に反トルクでリアが持ち上がる独特な挙動は解消された。
日本国内では66年5月にリジッドタイプを発売。それまではS600同様チェーンドライブのS800が市販されている。
一方前輪は従来どおり、ダブルウイッシュボーン/トーションバー独立懸架である。
ブレーキは前後ともドラムタイプだが、前輪のディスクブレーキをオプションで用意。欧米への輸出型ではこれが標準装備となっていた。ステアリングホイールも従来どおり、ラック&ピニオン・タイプである。
ホイールベースは2000mmと変わらないが、全長×全幅×全高は3335×1400×1215mmとS600より全長が35mm、全高が15mm増大している。
S800になり、このミニ・スポーツカーの人気はより確定的なものとなり、ヨーロッパでも評判が高かった。たとえばモナコの故グレース王妃も愛用していたし、当時のマルセイユの市長もこれを乗り回していた。
価格も発売当時(66年)で65万8000円(クーぺは69万4000円)とリーズナブル。トヨタスポーツ800の59万5000円をやや上回ったものの、この両車が日本の草の根モータースポーツのドラマを大いに盛り上げたことは改めて言うまでもない。
ホンダのS500からはじまるミニ・スポーツの系列は、68年5月に最後のマイナーチェンジが行われ、最終型のS800Mとなった。
これはアメリカの安全基準に対応したモデルを国内向けに改めたもので、性能的には従来と変わりない。ただし、前輪にアネット・タイプのディスクブレーキを装着し、ダンロップSP3ラジアルタイヤが標準となっている。
ブレーキ油圧警告灯を新設し、ブレーキランプの大型化が行われ、サイドマーカーや反射器を大きくした点が、S800Mの主な変更点である。
S800は、国内でも海外でも、ホンダの名を大いに売り込むことに成功した。だがSシリーズは70年7月をもって生産終了。S800の生産台数は1万1406台だった。
ホンダ S800M 主要諸元
●全長×全幅×全高:3335×1400×1215mm
●ホイールベース:2000mm
●重量:755kg
●エンジン型式・種類:AS800E型・直4・DOHC
●排気量:791cc
●最高出力:70ps/8000rpm
●最大トルク:6.7kgm/6000rpm
●トランスミッション:4速MT
●タイヤサイズ:145SR13
●価格:75万円