“ホンモノ”は、いつでもその時代の人に愛された
日産 スカイライン 2000GT-R:昭和44年(1969年)2月発売
1989年(平成元年)5月から登場したR32系8代目スカイラインに、3ヵ月遅れの8月“GT-R”の車名が復活した。
“ケンメリ”の110系4代目スカイラインGT-Rが生産を終了したのが1973年(昭和48 年)5月、それから16年が経過していた。
それまでにも、GT-R復活のウワサは何度もあった。たとえば1981年(昭和56年)10月、R30系6代目スカイラインに日産として久々のDOHC、FJ20型搭載車が追加されたがモデル名は「RS」だった。“6気筒でない”というのがその理由ともいわれた。
1987年(昭和62年)8月、R31系7代目スカイラインでは、RB20DET-R型搭載の「グループAのホモロゲーション取得のため」の800台限定発売のスポーツバージョンがあったが、車名は「GTS-R」。
6気筒、210psのDOHCターボを搭載して“最強のスカイライン”と主張したが、GT-Rの名は与えられなかった。メーカーである日産自身の“GT-R”に対する思い入れの深さを改めて感じさせる16年間であった。
さて、そんなエキサイティングモデル、GT-Rの誕生は1969年(昭和44 年)2月。前年の1968年7月にフルモデルチェンジで登場したC10系3代目スカイラインに7カ月ほど遅れて追加、設定されている。
“愛のスカイライン”の愛称で呼ばれる3代目スカイラインには2000GTが設定されていたが、エンジンはシングルキャブのL20型、105ps。前モデルで3連キャブを装着したGT-Bの後継車を期待していたファンには大きな不満であった。
しかし、遅れて発表された2000GT-Rは、ファンの期待をはるかに上まわる強力マシンだった。エンジンは6気筒、24バルブDOHC、1989cc、160psのS20型で、日本GPはじめ国内レースでめざましい活躍をみせたレーシングプロトタイプ、R380に搭載されたGR8型エンジンのデチューン版といわれた。
足まわりはフロントがストラット、リアはセミトレーリングアームの4輪独立懸架で、ブレーキはフロントにディスクを採用。ギアボックスはポルシェタイプの5速となった。内装は簡素なもので、ラジオもヒーターもなかった。
一見おとなしい4ドアセダンのボディにレーシング・プロトタイプゆずりのパワフルエンジンを載せたGT-Rは、まさに「羊の皮をかぶった狼」だった。最高速度は200km/h、0→400m加速は16.1秒。その実力はまさにスポーツカー並みともいえた。
デビューしたGT-Rは国内各レースに出場して猛威をふるい、“常勝スカG”の神話を生み、「国内レース50勝」の輝かしい記録を残した。1970年10月、4ドアのみだったスカイラインに2ドアHT(ハードトップ)ボディが加えられ、GT-RはHTのみに設定されることになった。
したがって国内レース50勝の内訳も4ドア GT-Rの33勝にHT GT-Rの17勝となる。一般にハコスカGT-RというとハードトップのKPGC10が思い浮かぶのだが、実は4ドアの方がレースの勝ち星は多いのだ。
ハードトップはホイールベースが2640mmから2570mmに短縮され、車重も20kg軽くなったので戦闘力はさらにアップ。ワークスフルチューン車は260ps以上は出ていたという。
ちなみに1980年代にグループAで活躍したBMW M3は、偶然の一致かもしれないがホイールベースはまったく同じで、全長、全幅もほとんど同じ寸法(5mmと15mmの差しかない)なのが興味深い。
さて、とにもかくにも、この時代のスカイラインGT-Rはライバルがまったく見当らないほどに偉大だった。こうして振り返ってみると、「GT-R」というネーミングが16年もの間、使われなかったということに合点がいくというものである。
スカイライン 2000GT-R 主要諸元
●全長×全幅×全高:4395×1610×1385mm
●ホイールベース:2640mm
●重量:1120kg
●エンジン型式・種類:S20型・直6 DOHC
●排気量:1989cc
●最高出力:160ps/7000rpm
●最大トルク:18.0kgm/5600rpm
●トランスミッション:5速MT
●タイヤサイズ:6.45H-14-4PR
●価格:150万円