1985年のグループAによる全日本ツーリングカー選手権から常連となっているスカイライン。R30、R31はチャンピオン獲得を含め、それなりの成果は挙げた。ただ、「速さ」、「強さ」という面から見るとフォードシエラなどの外国車勢いに一歩譲るというのが実情だった。「スカイライン」というブランドは日産のモータースポーツで譲ることができないもの…。そんな関係者の思いの中、1990年シーズンにデビューしたのがR32スカイラインGT-Rだった。

GT-Rはレースで勝ってこそ…そんな覚悟の中で登場

画像: 1990年の全日本ツーリングカー選手権にカルソニックスカイラインとともにデビューしたリーボックスカイライン。ファーストドライバーは長谷見昌弘だ。

1990年の全日本ツーリングカー選手権にカルソニックスカイラインとともにデビューしたリーボックスカイライン。ファーストドライバーは長谷見昌弘だ。

スカイラインGT-Rに搭載されるパワーユニットはRB26DETTと名付けられた2.6L直6DOHCツインターボエンジン。ノーマルのスペックは、最高出力280ps/6800rpm、最大トルク36.0kgm/4400rpmだが、これは言わばデチューン版で、本来の性能は最高出力310ps/6800rpm、最大トルク36kgm/4400〜5600rpmというものだった。グループA仕様は500台のエボリューションモデルであるGT-Rニスモをベースとし、最終目標性能が600ps/7600rpm、最高許容回転数は8500rpmとなっていた。実際にはこれ以上のパフォーマンスを発揮したという。

グループAというタイヤサイズが限定されるカテゴリーで、この大パワーを有効に路面に伝えるためには4WDシステムの採用が必須となった。そこで日産はアテーサE-TSという電子制御トルクスプリット4WDの採用に踏み切る。トルク配分は0:100〜50:50に連続で切り替わるシステムはレースでも有効に働いた。

画像: RB26DETTはグループAのディビジョン1を有利に闘うために排気量も決定されている。フルブーストでは700psも可能とも言われた強心臓だ。

RB26DETTはグループAのディビジョン1を有利に闘うために排気量も決定されている。フルブーストでは700psも可能とも言われた強心臓だ。

サスペンションは、スカイラインの伝統とも言えたストラット/セミトレーリングアームを捨て、前後マルチリンクに変更された。複雑な動きをするこのサスペンションをレース用にセットアップするために日産テクニカルセンターのCADによって設計が行われたという。

西日本サーキットで開催された1990年の全日本ツーリングカー選手権開幕戦にスカイラインGT-Rは姿を見せた。カルソニックスカイライン(星野一義/鈴木亜久里)とリーボックスカイライン(長谷見昌弘/Aオロフソン)は予選からフォードシエラを圧倒。決勝でも段違いの速さを見せ、カルソニックが優勝、リーボックが2位となる。その後も、スカイラインGT-Rは圧倒的な速さと強さを見せつける。

画像: 待ちに待ったサーキットでの王者としてのスカイラインはデビューから注目の的。以降、1993年まで29連勝の無敵ぶりを誇った。

待ちに待ったサーキットでの王者としてのスカイラインはデビューから注目の的。以降、1993年まで29連勝の無敵ぶりを誇った。

そして同年11月のインターTEC。日本車がそれまで一度も勝てなかったレースだ。予選ではカルソニック、リーボックが1−2位を占める。決勝では、インターTECでの4連勝のかかったフォードシエラが2位に割り込むシーンもあったが、結局、カルソニックとリーボックのGT-Rで1−2フィニッシュとなる。日本のグループAファンもようやく溜飲を下げることとなる。

以降、1993年のグループAの終焉までスカイラインGT-Rの天下が続くことになるが、ライバルの不在はそれはそれでレースをつまらなくした…という面もあったかも知れない。

グループAの名車バックナンバー

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