スバル360〜第2回日本グランプリで大活躍
昭和39年5月に三重県の鈴鹿サーキットで開催された第2回日本グランプリ。そのT−Iクラス(400cc以下クラス)で1−2フィニッシュを飾ったのがスバル360だった。このレースでスバル360は実質的な 前進6速となる副変速機のメリットをいかんなく発揮(同レースでの平均車速は104.27km /h)。追いすがるスズキ・スズライト、マツダ・キャロル360らの強敵に大差をつけて優勝したのだ。
プリンス・スカイライン2000GT〜伝説の始まり
昭和39年(1964年)の第2回日本グランプリ。生沢徹のスカイラインは式場壮吉のポルシェ 904をかわして一時は首位に。結局は勝てるはずはなかったが、これがスカG伝説の出発点となった。当時ホモロゲは12カ月間に100台の生産で取得できたが、GTの設計大綱が決まったのは同年の2月15日、車両公認書提出期限の3月15日までは1カ月しかなかった。しかし、プリンス自動車は総力を上げてこれを達成。スカイライン1500のボディにグロリア用2l 6気筒を積んだGTをサーキットに送り出した。
トヨタスポーツ800〜浮谷東次郎の大逆転優勝
「ヨタハチ」といえば故・浮谷東次郎の活躍が思い出される。特に昭和40年(1965年)7月18日の船橋サーキットオープニングレース「全日本自動車クラブ選手権レース」のGT-1クラスでは、序盤クラッシュのため16位まで落ちながら、田中健二郎や黒沢 元治のブルーバード、生沢徹のS600などをかわし、わずか30周のレースで奇跡の大逆転優勝を飾った。しかし、その天才は同年8月20日、鈴鹿で練習中に事故に遭い、翌日この世を去った。
ダットサン・フェアレディ2000〜GT-IIクラスでブッちぎりの速さ
フェアレディ 2000(SR311型)はレースでも大活躍。 ストックの状態でパワーウエイトレシオは6.4kg/ps、最高速205km/hというパフォーマンスを発揮、 レース用ロールバーがオプションで用意されていた ため、アマチュアレーサーからも人気で、その活躍 も当然だった。昭和42年(1967年)の第4回日本GPのGTクラスでは、見事に1 〜 3位を独占している。 この時の優勝は黒沢元治選手だった。
コスモスポーツ〜ロータリーエンジンの性能を世界で実証
ロータリーエンジンを搭載した世界初の量産車となったコスモスポーツは、昭和43年(1968年)8月、ニュルブルクリンクで開催されたマラソン・デ・ラ・ルート84時間耐久レースに出場。量産車のスピード と耐久性が問われる過酷なマラソンレースで、ポルシェ、ランチアに次ぐ4位に入賞、ロータリーエンジンの性能の高さをアピールするとともに、信頼性、耐久性を世界中に示した。
トヨタ1600GT〜市販前からレースで活躍
トヨタ1600GTは、発売直前の昭和42年(1967年) 夏の鈴鹿12時間耐久レースに「トヨタRTX」として出場し、見事1-2フィニッシュを飾っている。写真はその当時のものだが、市販化された後も国内レー スや海外ラリーに出場して大活躍。わずか1年あまりという短期間ではあったが、ツーリングカーレースではスカイライン2000GT、ベレット1600GTなどのライバルを抑えて連勝を飾っている。
ダットサン・ブルーバード1600 SSS〜国際ラリーで大活躍
日産はいち早くラリーに目を付け、サファリ・ラリーにブルーバード510型を投入している。昭和44年 (1969年)はクラス優勝(総合3位)とチーム優勝を達成。翌45年はクラス優勝に加え、総合優勝まで 獲得し、世界を驚かせた。日産のサファリ・ラリー挑戦は「栄光の5000キロ」として映画化もされている。 その活躍は「世界のブルーバード」たる地位を築き上げ、ベストセラーカーになった。
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