平成に入って何が変わったか? と言えば、それはクルマの作り方だろう。さらなる市場を海外に求めた国内メーカーは、こぞってプラットフォームやエンジンの刷新に乗り出す。厳しさを増す環境基準や安全性能など、動力性能だけでなくクルマのベーシックな基本性能を大幅に向上させる必要に迫られたのだ。その恩恵をもっとも受けたのが、ほかでもないコンパクトカーだったと言えるかもしれない。今回はその嚆矢となった、トヨタのヴィッツの歴史を振り返る。
可愛いだけじゃない、これが欧州テイストだ
平成の時代に入り大きく変わった「クルマの作り方」。国内のバブル経済崩壊と時を同じくしてグローバル化が急進展、そして韓国勢の追い上げなど、市場を海外に求めた日本車メーカーは価格で勝負するのは得策ではないと判断、付加価値を追求する時代に入った。世界で通用するクルマ作りを志向するようになる。
いわゆるコンパクトクラスも例外ではない。いままでは国内マーケットを第一に考え、少しでも安く提供することが求められたこのカテゴリーも、世界で通用するデザイン、パッケージングが求められるようになった。
先陣をきったのは平成11年(1999年)1月に発売されたトヨタのヴィッツ。当初からグローバルカーとして世界で戦うことを前提に開発されたヴィッツは、いままでの「安いけれど、クオリティもそれなり」だったコンパクトカーに、本場の欧州車に引けを取らないデザインとハンドリング、そして使い勝手を取り入れて大ヒットモデルとなる。
初代[平成11年(1999年)1月13日発表・発売]
世界と競争することを強いられた平成の世にあって、本場の欧州コンパクトと互角に渡り合えるクルマを目指して開発されたのが平成11年(1999年)1月に国内発売されたヴィッツだ。デザインを手がけたのは、ギリシャ人デザイナーのソティリス・コヴォス。生産性重視で色気のないデザインが主流だった当時のコンパクトカーを見慣れた我々は、その塊感あふれる造形にまずは驚かされた。
さらにチリがぴたりと合った作り込みの良さに二度びっくりさせられた。走り出せば、高速道路の追い越し車線を独占できるほどのどしりとした安定感で三度驚く。新開発されたNBCプラットフォームの力は絶大だった。エンジンこそ1Lの直4で最高出力は70psしかなかったが、それさえも欧州コンパクトのようで新鮮だった。生産国は日本、フランス、そして中国。紛れもなく日本の小型車を変えた一台だった。
2代目[平成17年(2005年)2月1日発表・発売]
Bプラットフォームに刷新して全幅は1695㎜に。国内では1L直3と1.3L&1.5L直4搭載車をラインアップしたほか、欧州仕様には1.8L直4と1.4LのSOHCディーゼルターボもラインアップ。この代から「ヤリスハッチバック」として北米への輸出も始まった。
3代目[平成22年(2010年)12月22日発表・発売]
引き続きBプラットフォームを採用するも、1.3L車にDual VVT-iを採用した1NR-FE型を新搭載。トピックは平成29年(2017年)に追加されたハイブリッド車の追加。欧州では平成24年(2012年)より発売されていたが、日本ではアクアがあるため発売を見合わせていた。
その後のヴィッツ〜ヤリスとして新たなスタート
9年余の時を経た令和元年10月16日、4代目はヴィッツから全世界共通の「ヤリス」へと名前を変えてフルモデルチェンジを発表した。その4カ月後(令和2年2月)から国内発売が開始されている。トヨタのTNGA戦略の一環となる「GA-Bプラットフォーム」を採用した第一弾で、国内仕様のラインアップは1.0L直3、1.5L直3、そして1.5ℓ直3ハイブリッドの3車型で1.5L車は4WDも選べる、また派生車種として独自設計されたスポーツ4WDのGRヤリスも今夏より発売を開始する。