平成元年、世の中がバブルを謳歌していたまさにそのタイミングで、東京モーターショーがいままでの晴海国際展示場から、千葉県の幕張メッセへと会場を移転。グローバル・モーターショーを標榜した一大博覧会の中で、ひときわ注目を集めたのがここに紹介する4台のコンセプトカー。イケイケの時代を象徴する、夢のクルマたちを覚えていますか?

クルマ好きがつかの間の夢を見たイケイケの時代

ジャパン・アズ・ナンバーワンを地で行くような豪勢な第28回東京モーターショー。もはや怖い物なしの勢いづいた開催テーマは「自由走。ハートが地球を刺激する」。バブル景気のさなかにあり、3ナンバー車購入時の税金が物品税から消費税(暫定税率6%)切り替わったときでもあり、市販予定の高級車にも注目が集まった。

一方で、近未来を予見させる規格外のモンスター・コンセプトカーが続々と登場した。いずれもマルチシリンダーエンジンを搭載したハイテク・スーパーカー。バブルさえ崩壊しなければ本当に市販されたかも知れない、とさえ思わせる気合いの入ったものだった。5バルブDOHCのV8、水平対向12気筒、半自動運転技術など…潤沢な開発資金を背景にしたコンセプトカーに、来場者は息を飲んだ。

実際、これらは「絵に描いた餅」ではなく走行が可能だった。たとえばトヨタが出品した4500GTは、事前撮影会の会場(東富士研究所)のテストコースで、ジャーナリストに試乗させたほどだ。ともあれ、当時はまだハイブリッドなど夢の夢だった時代だったのだ…。

トヨタ4500GT

V8で4.5Lという大排気量もさることながら、吸気3、排気2という5バルブメカを搭載。最高出力300ps、最大トルク39.0kgmというスペックは今となっては驚くほどではないが、専用に開発されたシャシとともに抜群の運動性能を実現していた。完全なスタディモデルだったが、その知見は後年発売されたレクサスLFAに生かされていく。

画像: 4.5Lの5バルブDOHCにはアルミ製シリンダーブロックやマグネシウム製オイルパンが採用されていた(トヨタ4500GT)。

4.5Lの5バルブDOHCにはアルミ製シリンダーブロックやマグネシウム製オイルパンが採用されていた(トヨタ4500GT)。

ジオット・キャスピタ

ワコールが100%出資して設立されたジオットが企画し、開発・製作を童夢が行った「公道を走るF1マシン」。フレームはカーボンモノコック、エンジンは当時F1参戦を表明していたスバルに開発を依頼、モトーリ・モデルニ社が図面を引いた3.5L水平対向12気筒を搭載して東京モーターショーに出品された。

しかし、スバルは半年でF1から撤退したため、急遽ジャッド製V10エンジンを搭載することに。大幅な設計変更を余儀なくされ、平成5年(1993年)に2台が完成したものの販売はされなかった。

画像: レーシングカーそのものの出で立ちながら、公道を走れることも視野に置いていた(ジオット・キャスピタ)。

レーシングカーそのものの出で立ちながら、公道を走れることも視野に置いていた(ジオット・キャスピタ)。

三菱HSR-Ⅱ

第27回の東京モーターショーに出品された実験車HSR-Ⅰをさらに発展、コンピュータ利用技術の可能性をとことん追求したのがHSR-Ⅱだ。エンジンは3LのV6ツインターボをフロントに横置き。駆動方式は三菱お得意の4WDだが、注目したいのは当時すでに、空力制御、インフォテントシステム、ハンドリング制御、自動追尾/自動車庫入れなども盛り込んでいたところ。現在につながるコンセプトカーだった。

画像: 空力を徹底的に追求したフォルムは航空機的な感覚。左右のカナードも航空機のフラップのように可動式だった。

空力を徹底的に追求したフォルムは航空機的な感覚。左右のカナードも航空機のフラップのように可動式だった。

いすゞ4200R

いすゞがまだ乗用車から撤退していなかった時代の力作。Cカーのようないかにも空力性能が良さそうなボディだが、実は4ドアの2+2シーターなのだった。4.2LのV8DOHCエンジンも新開発(残念ながら日の目を見ることは名なかったが…)で、横置きにミッドシップ搭載されていた。サスペンションは当時関係の深かったロータスとの共同開発によるアクティブサスを採用している。

画像: 一見すると2シーターだが、実は2+2のツーリングカーでもあった。

一見すると2シーターだが、実は2+2のツーリングカーでもあった。

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