2Lに特化した次世代直6エンジン登場=1980年4月
高級車といえば社会的に成功した人、つまりお金持ちが乗るものと相場が決まっていたのが1980年代前半まで。当時はオーバー2Lエンジンを搭載した普通乗用車は税金がアンダー2Lの小型乗用車のおよそ3倍だった(1989年に税制変更)。高度成長時代を経て成熟期には入りつつあった日本ではあったが、多くの人々にとって2Lを超える3ナンバーの普通乗用車に乗るというのは、まだ敷居が高かった時代である。
ゆえに一般庶民の目指すカーライフのゴールは、2L直列6気筒エンジンを搭載した小型乗用車=5ナンバー車に乗ることだった。当時、2Lの直6エンジンを生産していたのは、トヨタと日産。トヨタはM型、日産はL型(L20)である。どちらも世代的にはもう十分貢献してきたエンジンであり、次世代型の登場が待望されていた。
いち早く行動に移したのがトヨタだった。国内専用の2Lに特化した直列6気筒エンジンを開発したのである。それが1G型だ。将来の排気量拡大を意図せず2Lに特化したことで軽量・コンパクト化が実現。量産化を前提にコスト的にも庶民が手を出しやすい価格帯が目標とされたのである。シリーズを通じて排気量1988cc、ボア×ストロークは75.0×75.0mmのスクエアタイプが踏襲されるのも特徴だ。ちなみにこのボア×ストロークは前進となるM型と同じだ。
その歴史は1980年4月に発売された初代クレスタに搭載された1G-E型で幕を開けた。1G-E型はオーソドックスな2バルブSOHCながら、油圧式バルブラッシュアジャスターの採用で直6らしい静粛性とメンテナンスフリーを実現している。またロッカーアームを介したバルブ駆動、ロングインテークポート、デュアルエキゾーストなどが採用され、当時のSOHCの中では優れたレスポンスを実現していた。
デビュー当時のスペックはグロス表記で最高出力130ps/5400rpm、最大トルク17.5kgm/4400rpm。しかも先代のM型と比べて約30kgも軽くなっており、ハンドリングにも好影響を与えている。この新型エンジンは、兄弟車のマークII/チェイサーを始め、ソアラやクラウンの廉価グレードにも搭載され大量生産の道を走り始める。
ハイソカーの代名詞=「TWINCAM24」の登場〜1982年8月
そして1982年8月には早くもシリーズを代表するエンジンがバリエーションに加わった。「TWINCAM24」のエンブレムでお馴染の1G-GEU型だ。ヤマハとの共同開発によって誕生したトヨタ初の直列6気筒4バルブDOHCである。スペックは当時のクラス最強となる160ps/6400rpm、18.5kgm/5200rpm(ともにグロス表示)。この数字を見てもわかるとおり、かなりの高回転型でありレッドゾーンは7700rpmからだ。
1982年8月にマイナーチェンジでGX60型となったクレスタと、A60型2代目セリカXXにまずは搭載。やや遅れてGX60型マークⅡ/チェイサー/にも搭載された。翌1983年にはZ10型初代ソアラやフルモデルチェンジしたクラウンにも搭載車が設定された。なお、1984年にGX71型マークII/チェイサー/クレスタを発売するにあたり、燃料噴射装置に当時最新のEFI-Dを用いるなどの改良が施された。
この新型エンジンはその性能はもちろんだが、すでに始まりつつあったハイソカー・ブームの波にのった。ボディのそこかしこに配された「TWINCAM24」のエンブレムやステッカーは、マニア以外にも絶大な影響を及ぼして高級/高性能イメージの向上に大いに貢献したのである。量産効果によってそこそこリーズナブルな価格設定がなされたことも相まって、今までこのクラスの高級車に関心がなかった若年層から大いに注目され、ブームは過熱気味になっていった。ハイソカーと「TWINCAM24」はセットだったのだ。
国産車初の直6DOHCツインターボ登場〜1985年10月
ハイソカーブームで沸き返る一方、パワー競争も本格化していた。1G-GEU型はデビュー当時のグロス160psはクラス最強であったものの、日産は2L直4のFJ20Eをターボ化してあっさりとこれをクリア(FJ20E T/グロス190ps:1983年2月)してしまった。
その対抗としてトヨタが1985年10月に投入したのが、1G-GEU型をツインターボ化した1G-GTEU型だ。ちなみにツインターボは日本初の最新技術であった。デビュー時のスペックは最高出力185ps/6200rpm、最大トルク24.0kgm/3200rpm。いずれもネット表示であり、グロス表示の日産FJ20ETと実質的な出力はほぼ互角だった(もっともパワーフィールはかなり異なり、あくまで荒々しいFJ20ETと比べ、1G-GTEUは上級車に相応しいジェントルなパワー感が持ち味だった)。
トヨタはこの最新エンジンをまずは1985年10月、GX71系のマークⅡ/チェイサー/クレスタの3兄弟に搭載、「GTツインターボ」というグレード名で発売した。間髪おかず1986年初頭には、2代目GZ20ソアラ(1月)と初代スープラ(2月)にも搭載。こちらは1988年1月のマイナーチェンジ時にハイオク仕様化されて200ps/28.0kgmへと出力を向上、リッター100psを達成した。さらに1989年1月にはインタークーラーを水冷から空冷に変更すると同時にタービン特性とバルブタイミングを見直して、ついには最高出力210ps/6200rpmに到達した(トルクは変わらず)。
1G-GZE型はスーパーチャージャーで低速トルク増強〜1985年9月登場
一方で、高級車用エンジンという本来の役割を熟成させるための改良も施された。前述のとおり1G-GEU型は基本的に高回転型であり、低速トルクは対策はされるもいまひとつだった。とくに車体が重いクラウンでは、これが問題視されることもあった。そこで登場したのが日本で初めてスーパーチャージャーを装着した1G-GZEU型である。
1985年9月、日本初のスーパーチャージャージド・エンジンはGS120型クラウンにレギュラーガス仕様で搭載された。そのスペックはネット表示で160ps/6000rpm、21.0kgm/4000rpmである。さらにGX81系マークⅡにも搭載され、こちらはハイオク仕様化されて最高出力170ps/6000rpm、最大トルク23.0kgm/3600rpmをそれぞれ発生している。懸案だった低速域のトルク増大はこれで一応の解決をみたが、同時に燃費は悪化。結局、このエンジンは短命に終わってしまう。
昭和の終わりとともに、自動車税にも大改革が行われ、従来のエンジン排気量とボディサイズで決まっていたものが、純粋にエンジン排気量だけで決まることになった。また、ハイソカーブームやハイパワー競争も一段落。1Gシリーズも大半がその後継機にバトンを渡し、21世紀に入る頃にはいわゆるハイメカツインカムの1G-FE(1988年8月-2008年4月まで。シリーズ中もっとも長期間生産された)を残すのみとなった。ある意味、日本車が一番元気で勢いのあった時代に輝いていたのが1Gシリーズであり、中でも「TWINCAM24」のステッカーを誇らしげに貼った1G-GEU型エンジンを載せたトヨタ車たちだったのかもしれない。