S20の血統を継ぐ16バルブヘッド採用した硬派DOHCユニットの誕生
「DOHCエンジンはレースにも使えるものでなければならない」。スカイラインRSに搭載されることになるFJ20E型エンジンの開発に際して、日産のエンジニアはそう考えていたという。もちろん、その背景にはスカイラインGT-Rに搭載されたS20型の影響が少なからずあっただろう。S20はR380に搭載された純レーシングエンジンのGR8型をベースとする、日産初の量産DOHCエンジンだ。その当時から超高性能をイメージさせる1気筒あたり4バルブシステムを採用していた。
日産がS20から8年のブランクを経て次期DOHCエンジンを開発しようというとき、その栄光が脳裏をよぎったとしても不思議ではない。日産は、トヨタが量産していた「ツインカム」とは対極にある、本格派路線を突き進んだのだ。またFJ20Eの開発に際しては、日産モータースポーツ部隊から以下の要望が寄せられたともいわれる。
1)世界ラリー選手権用の主力エンジンとして2.4Lまで排気量を拡大できること
2)モータースポーツ用途に最適化するため4気筒とすること
3)レースやラリーでの使用に耐えうる高い耐久性と信頼性を確保すること。
こうした要望を満たす方針でスペックが固められていった。
そんな要求の中で開発されたFJ20Eは、必然的に完全新設計となった。シリンダーブロックは、230系セドリック/グロリアなどに搭載されていたH20型直4 OHVエンジンがベースといわれることもあるが、実際には、その生産設備を利用しただけのものだ。
現にFJ20Eのそれは剛性の高いディープスカートブロック形状として十分な強度を持たせているし、十分な冷却性能の確保を考慮して、シリンダーのフルウォータージャケット化も行っている。
シリンダーヘッドは、当時としては革新的なものだった。材質はアルミ合金製で、半球形や多球形ではなく現代的なペントルーフ型の燃焼室を持つ。バルブ挟角は60度と大きく、燃焼室の表面積が広くなってしまうのはデメリットだが、吸排気バルブの総面積が大きくとれるメリットを優先した。カムシャフトの駆動には、S20と同じく2ステージ式のダブルローラーチェーンを使用し、バルブ回りは直動式リフターにインナー式調整シムを採用している。
そして1981年10月に追加設定されたDR30スカイラインRSに搭載された。スペックは、最高出力150ps/6000rpm、最大トルク18.5kgm/4800rpmだった。本格派として設計された割にはいささか物足りないスペックだったかもしれないが、これは当時の排出ガス浄化装置(とくに触媒)の性能に起因するもので、抑えたスペックといえるだろう。
1980年代前半からは排出ガス規制のくびきから放たれ、国産メーカーのパワーウォーズが始まりかけていた時代だ。FJ20Eも、その流れの先頭に立つように短期間で進化していくことになる。1983年2月、ターボを装着され一挙に40psもパワーアップしたFJ20E-Tを搭載したスカイライン2000ターボRSが発売された。
ギャレット・エアリサーチ社製T3タービンを採用し、最高出力は190ps/6400rpm、最大トルクは23.0kgm/4800rpmとスペックは一足飛びに向上した。当時の日産は、排出ガス規制後のスポーツエンジンとしてターボに全力投球をしていた。そのフラッグシップ的な意味合いをもたせるための進化ともいえるだろう。このタービンはHR30型スカイラインターボGT系などに搭載されたL20E-Tにも採用されていたが、A/R=0.63とし、レスポンスよりも高回転でのパワーを重視したセッティングとしていた。
さらにターボ化によりFJ20E-Tの圧縮比は8.0まで下げられていたこともあり、低回転域でのトルクはFJ20Eよりも薄く感じられたが、3500rpmあたりから本格的な過給が始まると、暴力的な加速を味わうことができた。
それから1年後の1984年2月、今度は市販車としては世界で初めて4バルブDOHCターボにインタークーラーを組合せた。エンジン型式はFJ20E-Tのままだが、最高出力はリッター100psを超える205ps/6400rpm、最大トルク25.0kgm/4400rpmに達した。パワーアップはしたが、エンジン圧縮比は8.5に上げられ、ターボのA/Rも0.48に変更。過渡特性はマイルドになった。
ターボRSで感じられたピーキーさが影を潜め、その分刺激が少なくなったともいえるが、スカイラインファンを始めとする当時の若者が熱狂し「強いスカイラインの復活」を強く印象づけた。その後、同年8月の小改良で、スパークプラグの点火を電子制御するプラズマスパークを採用するなど、ライフ末期まで進化した。