イタリアの方言カウンタック(クンタッチ)
1971年、ジュネーブ。豊作だったこの年のモーターショーにおいて、なかでも一際目立つモデルがあった。その名もランボルギーニ カウンタック(クンタッチ)LP500。社名さえ見慣れぬ時代に、さらに見たことも聞いたこともない名に人々は困惑し、そのスタイリング、メカニズムには度肝を抜かれた。
その数年前。創始者フェルッチョ・ランボルギーニは自動車ビジネスの一線から半歩退き、社業を若いスタッフに任せる決断を下した。開発責任者となったのは、当時まだ才代前半の俊英パオロ・スタンツァーニ。かのジャンパオロ・ダッラーラと共にブランドの黎明期を支えた人物である。
ブランドを持続的に成長させるため、フラッグシップモデルの刷新と稼げるセカンドモデルの開発が急務だと彼は考えた。それが正しかったことは現在のランボルギーニのラインナップを見ればわかる。セカンドモデルはその後、V8ミッドシップ2+2のウラッコとなって実現するが、本稿のテーマではないのでそちらは割愛する。
パオロ・スタンツァーニはミウラの顧客から寄せられた生の声の数々と自らの理想を考え合わせた結果、リアミッド(P)に横置き12気筒エンジンを縦に置く(L)形式にこだわった。それゆえこのモデルの開発コードはLP112となる。
縦置きリアミッドで最初(1)の12気筒の意。そう、蘇ったクンタッチLPI800-4の限定台数である112台はこの数字に由来した。
大排気量12気筒にトランスミッションを加えたパワートレーンは長大だ。事実、カウンタックにおいてその長さは車体のほぼ2/3を占める。普通に搭載すればロードカーにあるまじき全長になってしまう。そこでパオロはパワートレーンの前後をひっくり返すというアイデアを思いつく。すでに将来の4WD化も思い描いていたというから、さすが30代にして開発の全権を託されただけの人物だ。
このスタンツァーニのLPレイアウトこそ、その後のランボルギーニのブランドイメージを決定づけることになったのだが、そんなパッケージのデザインをもうひとりの天才が担う。ベルトーネのマルチェロ・ガンディーニだ。
サイドラジエターを持つ奇想天外なプロトタイプカーは幅広く、全長と全高は短く収められており、乗降性を考慮したシザードアを必然的に採用していた。それを見た人物の叫んだ方言にちなんで「クンタッチ」といつしか呼ばれるようになり、正式名称になる。
1971年の衝撃のショーデビューから2年後、紆余曲折あってデザインやメカニズムがかなり異なる、けれどもシルエットとレイアウトを継承したプロトタイプが誕生した。現在も本社ミュージアムに存在する001号車だ。この時点でモノコックから鋼管スペースフレームボディへ改められ、エンジンも4L V12で、ボディにはフレッシュエアを取り入れるための工夫がそこかしこに見受けられた。