※ここで掲載している写真はすべてイメージで、「いつかはF1 私の履歴書」に掲載されているものとは異なります。
順風満帆ではなかったレーシングドライバー人生
中嶋氏のレースデビューは1973年まで遡る。20歳で鈴鹿シルバーカップに出場しデビュー戦3位の戦績、その後1977年にFJ1300チャンピオン、1981年から2年連続で全日本F2選手権シリーズチャンピオンを獲得。さらに1984年から3年連続で同選手権を制し、国内で星野一義氏との「2強」時代を築きあげる。
そして34歳となった1987年、ロータス・ホンダより日本人初のフルタイムF1ドライバーとして世界進出、日本で巻き起こったF1ブームの立役者となったのだ。
その後ロータスで3年間を過ごし、1990年にティレル・ホンダへとチームを移籍。1991年までの5年間にF1レギュラードライバーとして参戦し、毎年ポイントを獲得する安定感だけでなく、1989年雨のオーストラリアGPではファステストラップを記録した。このLAPが64周目だったことから「64」が中嶋氏のラッキーナンバーになっていることは有名な話だ。
国内での輝かしい戦績を手土産にF1デビュー、まさしく順風満帆に見えるのだが、実はそうではなかったことが本書では回想録として記されている。そしてF1デビュー時のアイルトン・セナに始まり、ネルソン・ピケ、ジャン・アレジ、ステファノ・モデナなど錚々たるチームメイトと過ごした5年間のエピソードも大変興味深い。
帰国後はチームオーナーに
F1に参戦した5年間をもって中嶋氏はレーシングドライバーとしてのキャリアを終える。そして帰国した翌年の1992年にはナカジマ・レーシンングを立ち上げ、国内トップカテゴリーのチームオーナーとして、また監督として若手ドライバーを指導してきた。その後も30年間に渡ってサーキットで指揮を執り続け、現在も総監督として最前線で活躍を続けている。
中嶋氏がレーシングドライバーからチームオーナーへと転身する過程において、様々は困難があったであろうことは想像に難くない。本書ではどのような切り口で描かれているのか楽しみなところ。また現役時代から引退後まで、かつてのライバル達との交流や裏話もレースファンにとっては見過ごせないだろう。