独自のエンジン形式を採用
特筆すべきはエンジンで、先進国である欧米の戦車が水冷ガソリンエンジンを使用したのに対し、空冷ディーゼルエンジンを搭載している。三菱A6120Vdeの名称どおり、空冷・6気筒・120hp・直列・ディーゼルという独自の形式だ。排気量は14300cc、最大出力120馬力というのは同期の欧米戦車と比較して見劣りしない性能だった。
この独自なエンジンは、ガソリンエンジンに比べ圧倒的な燃費と燃料費の良さ、ディーゼル特有の電装品の少なさ、空冷による部品点数減少=構造単純化など、当時の工業力を補う大きなメリットだった。戦闘現場でも、燃費や整備性の良さ、火炎瓶攻撃に対する耐性、劣悪燃料や代用燃料が使用でき故障も少ないと高評価だった。ただしエンジンオイルは漏れが多く、かなりの消費量だった。
始動はセルモーターのみで、手動クランクは装備されていないため、非常時は押し/引き掛けだったという。寒冷な中国戦線では、とくに始動が大変だっただろう。
戦車の劇的進化と悲劇
以上のように制式採用から初期の配備までは、欧米軽戦車と比較して遜色ない性能と言えたが、WW2開戦前になると戦車(とくにソ連やドイツ)は日進月歩で巨大化+高性能化したのに対し、日本は基礎工業力と資材不足から大きく進化が遅れた。
とくに最大でも12mm、ほとんどが10mm未満しかない装甲は脆弱で、敵の戦車砲どころか12.7mm機関銃や歩兵小銃の徹甲弾でもハチの巣にされる始末だった。その逆に短砲身の37mm戦車砲と劣悪な砲弾は、次々投入される敵の新型装甲車両にはまったく無力だった。
上位機種の九七式中戦車とともに2000輌を超える配備数ではあったが、酷寒の中国から高温多湿の南方諸島に至る広大な戦線では台数も足りず、後継機も量産/配備されぬまま「やられ役戦車」のイメージが定着して終戦を迎えるのである。
戦後は車輌的には小破の個体が相当数放棄され、多くの激戦地で今も戦争遺産として残っている。この4335号もその1輌で、数奇な経緯をたどりながらもオリジナルエンジンで走行可能な状態で「防衛技術博物館を創る会」の尽力により帰国した。(動態保存車輌は2台現存する)
「戦争体験者はやがていなくなるが、兵器は産業技術遺産として後世の人々に戦争の真実を語り続ける」と語る、防衛技術博物館を創る会の小林代表(以前、キューベルワーゲン/シュビムワーゲンの回にも協力いただいた)の考えは重要なことだと感じる。ぜひ、この小さな戦車を見て客観的に当時の国力を知ってほしいと思った。(文と撮影:MazKen、取材協力/画像提供:防衛技術博物館を創る会)
九五式軽戦車 主要諸元
●制式採用:昭和10年(皇紀2595年)
●全長×全幅×全高:4.30×2.07×2.28m
●重量:自重6.7トン/全備重量7.4トン
●懸架方式:シーソー式連動懸架
●装甲
砲塔外周/車体前面上下部:12mm
砲塔上面/前面傾斜部/底面:9mm
車体後面:10mm
ハッチ:6mm、など
●エンジン型式:三菱 A6120VDe
●エンジン種類:2ストローク空冷 直列6気筒ディーゼル
●排気量:14300cc
●燃料供給方式:機械式噴射装置
●最大出力:120hp/1800rpm(定格は110hp)
●最大速度:40km/h(定格は31.7km/h)
●航続距離:約250km
●変速機:前進4速/後進1速(ノンシンクロ)
●主砲:37口径 37mm戦車砲(120発)
●副武装:7.7mm重機関銃×2(3000発)
●乗員:3名(車長/砲手、操縦手、機関銃手)