この連載では、昭和30年~55年(1955年〜1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第23回目は、ホンダのミニスポーツカーとして話題を呼んだ、S500の発展形となるS600の登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より)

ホンダF1のイメージを市販車に反映底抜けに回るDOHCが新次元に導く

平成3(1991)年に世を去った本田宗一郎氏が、本田技術研究所を設立したのは、戦後間もない昭和21(1946)年のことだった。

画像: これぞライトウェイトスポーツカー!という風情のリア&サイドビュー。多くの若者がこのスタイルに憧れた。リアタイヤはチェーン駆動だった。

これぞライトウェイトスポーツカー!という風情のリア&サイドビュー。多くの若者がこのスタイルに憧れた。リアタイヤはチェーン駆動だった。

ごくつつましいスタートで、まず自転車用の原動機、次いでスクーター、オートバイの生産に進出し、戦後の昭和20年代に雨後の竹の子のように群生した国内のオートバイメーカー間の激しい競り合いに勝って会社を大きく成長させた。

さらにオートバイの世界チャンピオンシップレースに挑戦し、伝統に輝く世界の強豪をなぎ倒してトップの座につくなど、「世界のホンダ」として着々とその地歩を固めていった。

ホンダの最大の特徴は、過去にこだわらぬ高度の先進性で、そのことは日本のモータースポーツが開花する前に早くも鈴鹿サーキットの建設に乗り出したことからもうかがえる。しかし、昭和38(1963)年5月に第1回日本グランプリが鈴鹿で開催されたとき、ホンダ自身には出走させるクルマはまだなかったのは、皮肉な話である。

だが、その前年の東京モーターショーにはホンダとして初めての4輪乗用車(商業車としてはT360があった)市場への進出のさきがけとなる2台のミニスポーツカーが出品され大いに注目された。それがホンダS360とS500である。

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