この連載では、昭和30年~55年(1955年〜1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第23回目は、ホンダのミニスポーツカーとして話題を呼んだ、S500の発展形となるS600の登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より)

オートバイ的発想の後輪駆動メカニズム

この両車のデビューと昭和39(1964)年8月のドイツGPからはじまるホンダのF1挑戦とは密接な関係がある。F1マシンもSシリーズ・スポーツカーも実はオートバイのチャンピオンシップレースで得られた重要なノウハウを四輪部門に転用し、さらに大きな発展を見せようとするホンダの偉大なポリシーの一貫だったからである。

画像: 昭和38年発売のホンダS500は大変な話題となったが、パワー不足は否めない。5カ月後に発売されたS600にその座を譲り、昭和39年9月には生産中止となる。

昭和38年発売のホンダS500は大変な話題となったが、パワー不足は否めない。5カ月後に発売されたS600にその座を譲り、昭和39年9月には生産中止となる。

そしてそのことは、Sシリーズの基本レイアウトに反映している。S360/500のユニークなチェーンケースを用いた後輪駆動メカニズムが、オートバイ的発想であることは改めて言うまでもないだろう。

ホンダの四輪車部門への進出計画は昭和35 (1960)年頃からスタートしたという。当時、本田宗一郎社長はロータス エリートに乗っていた。レーシングエンジン(F1用を含む)であるコヴェントリ・クライマックスのSOHCタイプの4気筒エンジンを搭載し、これまたレース用のZF製のギアボックス付きのこのモデルが、ある程度ホンダ Sシリーズの発想にも影響を及ぼしたと見ても差し支えあるまい。

だが、ホンダは日本の自動車事情をよく見通していた。一足とびにヨーロッパなみの排気量を持ったスポーツカーへと背伸びをすることはなかった。日本のモーターリゼーションの主戦場は当時あくまでも軽自動車であり、ホンダとしてはそのような購買層を前提としてミニスポーツカーを作り上げようとしたのだ。

昭和37(1962)年発表のプロトタイプには、360と500の2種類があったが、翌昭和38(1963)
年の10月から発売されたのは500だけで、360は幻のスポーツカーで終わった。決定的なパワー不足(33psと言われる)がその原因のひとつだろう。

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