トヨタ、そしてGTの顔であり続けた男
前身である全日本GT選手権時代から国内のトップカテゴリーとして人気のSUPER GT。その人気は年々熱を帯びており、ゴールデンウィーク期間中に行われる第2戦富士ラウンドでは5万人近い観客動員数を誇る。
自動車メーカーが威信をかけて鎬を削る国内最高峰の舞台で立川祐路は戦い続けてきた。1999年にTEAM CERMOからGT500クラスにフル参戦。感情を表に出さないクールなキャラクターだが、内には誰にも負けない強い意志が秘められていた。予選では他を圧倒する速さでポールポジションを量産。決勝では一歩も引かないバトルを展開し勝負強さを見せるも、必ず相手にラインを残すフェアな走りは多くのファンを魅了した。
トヨタのエースとして車体、そしてブリヂストンの開発ドライバーとして数多くの勝利に貢献してきた立川。しかし、近年は2019年の第2戦富士以来優勝はなく、トラブルや不運にも見舞われチャンピオン争いに加われずにいた。
特に2022年は自身ワーストとなるランキング13位に低迷。復活を期すべく、2023年シーズンは監督、チーフメカニックを交代させるなどチームに変革をもたらした。
チームの軸となるポジションを替えるなど復活に向けた取り組みが早速結果に結びついた。天候の変化により荒れ模様となった開幕戦ではチームの素早いピット作業により、予選14位ながら決勝は5位フィニッシュ。まずまずのスタートを切った。
しかし、続くレースで結果を残すことができなかった立川は第3戦終了後、近年の成績を理由に引退を決意。トヨタの顔をして勝たなければならない使命を全うしてきた立川ならではの理由だった。
芸能活動や他ジャンルでビジネスを展開するドライバーもいる中、キャリアスタートから一貫してレース一筋でやってきた立川。人生そのものであるレースから身を引くのは大きな決断だったに違いない。
難しい選択であったことは想像に難くないが、それでも勝てないことの方が許せなかったのはメーカーの期待を一身に背負ってきた男らしい決断と言えるだろう。
第4戦では引退会見、以降のイベントでは「ありがとう立川祐路」と銘打ったイベントが行われた。早く発表したのは応援してくれる人と最後まで一緒に戦いたいという立川のファンに対する感謝の気持ちによるもの。その想いに呼応するように、サーキットには多くのファンが駆けつけ、立川の勇姿を目に焼き付けていた。