踊る●●●に観る●●●。どちらも本気になれるのが「S耐」の醍醐味
11月15・16日に開催された通称「S耐 FINAL大感謝祭」、両日併せての一般入場者はのべ4万人を超えたという。2024年比で1.25倍ということだが、まだまだ伸びる可能性を秘めている。

NASCARカップ・シリーズで7度の王者に輝いたレジェンドドライバー、ジミー・ジョンソン選手をはじめ、CUPシリーズでカムリを駆るジョン・ハンター・ネメチェク選手、Xfinityシリーズから古賀琢麻選手、さらに日本を代表する小林可夢偉選手、大湯都史樹選手、小高一斗選手が、「伝説の30度バンクコーナー」で記念撮影。

メインストレート上がドーナツターンの白煙に覆われた。
なにより「S耐シリーズ」そのものがモータースポーツファンはもちろん、普通のクルマ好きにもぜひ、一度は訪れてみて欲しいイベントに育ちつつあることは間違いない。
「市販量販車をベースとした日本発祥、日本最大級の初心者も経験者も楽しめる参加型レース」ということで、ブイブイ言わせているのはどこかで見たような親近感溢れるマシンたち。
クラスの多くは、市販量産車をベースにしつつ安全装備以外のチューニングの範囲が限定されていることから、アマチュアドライバーやプライベーターチームが観客と一緒に楽しむあたりも、身近に感じられるだろう。ある意味、「盆踊り」的要素もあるような気がする。
ただ競い合う様を楽しむだけではない。なにし「耐久」。シリーズ中には最長24時間という長丁場もある。クルマのさまざまな限界も試されることになる激闘の舞台は、国産の自動車メーカーが文字どおりの「走る実験室」として活用している。
単なる速さを競うのではなく、燃費戦略、タイヤ戦略などマネジメント面での優劣も含めた総合力を問われる戦いの舞台は今や「共挑」と呼ばれる連携の場へと変化した。まさに今、S耐は「カーボンニュートラル(CN)に向けた新技術の開発」を「仲間たち」とともに加速させる、最前線となっているのだ。
今年の「S耐 FINAL 大感謝祭」でも、トヨタの通称「水素カローラ」をはじめ、スバルやマツダ、ホンダ、ニッサンの各社がそれぞれにCNに向けての最新の成果をお披露目し、新たな挑戦に向けた意欲をアピールしていた。
そんな舞台に、もっともアメリカンモータースポーツの代名詞のような「NASCAR(ナスカー)」が登場。レジェンドドライバーが操るマシンたちが、S耐マシンたちとはひと味違う「轟音」をとどろかせながら、デモンストレーションランを繰り広げたのだった。
モータリゼーションの原点と近未来、どちらも見えてくる
さらにグランドスタンド裏手のイベント広場には「アメリカンパーク」と名付けられたエリアが出現。ケンタッキーなど北米の工場で製造、米国で販売されているタンドラやカムリ、ハイランダーが複数台ずつ展示され、来場者の注目を浴びていた。

テキサス工場で生産されるフルサイズピックアップ「タンドラ」。

北米トヨタ ハイランダー。GA-Kプラットフォームに、2.5L直4ハイブリッドを搭載している。

ケンタッキー工場製のカムリも来日。最新型は抜群にスタイリッシュ。
そこに「展示」されたクルマたちが即、逆輸入されるかどうかはわからないものの、やはり「欲しい」という来場者は多いようだ。認証はもちろんサイズの壁はそれなりに大きいものの、国産車とはまた違ったインパクトはある意味、クルマ好きにとっての「原点」と言えるかもしれない。
取り回しがどうとかいう以前に「強そう」なたたずまいは、本質的な「豊かさ」を物語るものだと思う。本コース上で響いたNASCARマシンのシビレる轟音もまた、強さに直結するアピールだろう。
そこにどういう意思があるにせよ、スーパー耐久レースにおける「米国車との文化交流」は、豪快極まりない肉食コーナー「フジニックフェスティバル」(今やS耐恒例の食の祭典)を見てもわかるとおり、けっしてお上品なものだけではない。だからこそこうした迫力たっぷりの「アメ車」の集いはクルマを楽しむ原点を、改めて感じさせてくれたように思えた。
2026年もS耐とアメ車のコラボは、継続される可能性があるようだ。一方でCNFの社会実装はもちろん、「CO2を減らしちゃう」技術の実用化まで夢見る仲間たちが集う場には、ちょっとそぐわないような気がするかもしれないが、さにあらず。
言うまでもなく北米発の市販モデルの環境対応は着々と進んでいる。NASCARシリーズそのものも2035年までのコア事事業トータルでのカーボンフットプリントを、ネットゼロにする目標をたてている。使用燃料のカーボンニュートラル化はもとより、将来的にはBEV化も視野に入れているのだそうだ。
意外なほどに、ふだんは見えないところでも時代は変わり始めている。スーパー耐久レースはそんな変化を「エンターテインメント」性とともに気づかせてくれる、貴重な場へと変わりつつあるのかもしれない。

