超資産家なのに現場主義を貫いた男と、AMAのルールに締め出されたGM「コルベット」の生みの親が出会い、アメリカン・ドリームチームが誕生した1950年代。映画「フォード vs フェラーリ」の舞台となった1960年代よりも前に、ル・マン制覇を目指したアメリカ車のお話です。

文: 石橋 寛/写真: RM Sotherbys
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国税庁から刺されたのでGMさんとやります

フォードがフェラーリをやっつけようとする遥か以前に、ル・マン制覇を目指したアメリカ人がいました。言うまでもなく、大富豪にして自身もハンドルを握るブリッグス・カニンガムその人です。しかも、彼をサポートしたのがシボレー・コルベットの開発者、ゾラ・アーカス・ダントフときたら、これはもうアメリカン・ドリームチームとしか言いようがありません。果たして、彼らの挑戦はどんな結末を迎えたのでしょうか。

まずはブリッグス・カニンガムからご紹介すると、日用品大手プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)社の創業期における投資家を父に持つ超がつくほどの資産家です。クルマやヨットが大好物で、1951年には自らレーシングカーメーカーを興したばかりか5年連続でル・マンに挑戦。しかも、自らがドライブして1954年は総合5位を獲得するほどの人物。さらには、ヨットレースの世界最高峰「アメリカズ・カップ」に自らが設計したヨットで参戦して、優勝までかっさらっています(1958)このカッコよさに、スティーブ・マックイーン主演の名作『華麗なる賭け』(TheThomas Crown Affair)はカニンガムのライフスタイルをモデルにしたとさえ噂されているのです。

もっとも、1955年にはレースカー事業が赤字を出し過ぎたことから国税庁から「これはビジネスでなく個人の趣味だ」と指摘されてしまい、泣く泣く廃業することに。同じ頃、GMを含むアメリカの自動車メーカー各社は、AMA(米国自動車工業会)の協定により、メーカー主導のレース活動を全面的に禁止されていました。これを歯噛みして悔しがっていたのがGMでコルベットを生み出したゾラ・アーカス・ダントフ。コルベットを世界に通用するスポーツカーにしたかったダントフは、ル・マンへの参戦を熱望(自身も1954/55年に出場してクラス優勝を飾っています)していましたが、GMの立場上、表立ってマシンを開発・エントリーすることができなかったのです。

画像: 1960年、ル・マンに参戦したコルベットLM。水面下でGMが協力した影のファクトリーマシン。

1960年、ル・マンに参戦したコルベットLM。水面下でGMが協力した影のファクトリーマシン。

このふたりが出会い、ル・マンをアメリカ製マシンで制覇するという互いの夢を実現させようとしたのは当然の流れ。すぐさま水面下でプロジェクトが動き始め、カニンガムはニューヨークのジャガーディーラーを通じて3台(一説によると6台)のコルベットを購入。ただし、これらのコルベットは全然ノーマルではなく、ダントフがカスタムパーツを仕込んだレース仕様だったのです。ちなみに、ダントフはル・マン当日もピットに表れていますが、対外的には「個人的な休暇」と嘯き、とにかくGMが関わっていることをカムフラージュしていたのでした。

冷却水ルールの隙を突く

カニンガムに納められたファクトリーチューンのコルベット(SS)は、1957年のセブリングに出場していたものの、前述のAMAによる禁止令からそれ以後のレース活動は休止せざるを得ませんでした。が、ダントフはここでも水面下で開発を続け、クイックレシオステアリング、クローズレシオ4速MT、LSD、強化サス&ブレーキなどが進化を遂げたとのこと。そのうえ、カニンガムは友人でありレースチームマネージャーのアルフレッド・モモに、ル・マンに向けてさらなるカスタムを依頼しています。

画像: 283ci(4638cc)V8、315馬力/6200rpmの最大出力は排気量1立方インチあたり1馬力以上を発揮した当時のGM最強エンジン。

283ci(4638cc)V8、315馬力/6200rpmの最大出力は排気量1立方インチあたり1馬力以上を発揮した当時のGM最強エンジン。

ハリブランド製マグホイールをはじめ、サイドエキゾーストへの変更やベンディックス製燃料ポンプ(プライマリーとバックアップ)、とりわけ目を引くのがダグラスC-47輸送機のアルミ製バケットシートの装備など、さすが何度もル・マンを走ったカニンガム・チームらしいカスタム&チューン。さらに、ボディカラーは星条旗をオマージュしたブルーのフラッシュラインが入り、カニンガムがそれまで走らせた自社製マシンのデザインを踏襲したのでした。

画像: ホワイトボディにブルーのストライプはドライバー兼オーナーのカニンガムが星条旗に敬意を表したデザイン。

ホワイトボディにブルーのストライプはドライバー兼オーナーのカニンガムが星条旗に敬意を表したデザイン。

そして、1960年のル・マンには3台のコルベットLMがエントリー。しかしながら、大雨に見舞われたレースで、1号車と2号車は事故やエンジントラブルでリタイアを余儀なくされます。3号車も、雨が上がってからの終盤にオーバーヒートする危機に陥りました。ところが、カニンガムは「規則で冷却水の補充ができない」というルールを逆手に取り、クーラーボックスから氷をエンジンルームに詰め込んで冷やすというアイデアでこれをクリア。結果、3号車は見事に総合8位、GT 5.0クラス優勝をもぎ取ったのでした。

画像: アメリカ製にこだわった結果、バケットシートはダグラスC-47輸送機のアルミ製シートを加工して装着という力技。

アメリカ製にこだわった結果、バケットシートはダグラスC-47輸送機のアルミ製シートを加工して装着という力技。

彼の夢を終わらせるわけにはいかない

ところで、大富豪のカニンガムですが、オーナーでありながら、自身も優れたレーサーとしてステアリングを握り、ピットではメカニックに混ざって作業をしていたとのこと。この「育ちの良い大富豪なのに、誰よりも現場主義」こそ、「氷を詰め込んで冷やす」という執念の奇策を生み、スタッフたちが「ブリッグスの夢をここで終わらせるわけにはいかない」という強い絆で結ばれていたからだと伝えられています。コルベットLMとともに、クルマ好きならではの胸アツエピソードではないでしょうか。

画像: 稀代の大金持ちにして、クルマやヨットが大好きなブリッグス・カニンガム2世。1960年のル・マンにて撮影された近影。

稀代の大金持ちにして、クルマやヨットが大好きなブリッグス・カニンガム2世。1960年のル・マンにて撮影された近影。

画像: 中央の人物がゾラ・アーカス・ダントフ。コルベットの筆頭エンジニアながら、自身でもル・マンに出場した生粋のカーガイです。

中央の人物がゾラ・アーカス・ダントフ。コルベットの筆頭エンジニアながら、自身でもル・マンに出場した生粋のカーガイです。

さて、3台あったコルベットLMですが、レース後にはエンジンをGMに返却したり、カニンガムの友人に売却したり、いったんは離散してしまいます。が、2011年にさるコレクターの車庫からカニンガムがドライブした1号車が発見されると、2021年にはカニンガム家が買い戻しました。このニュースが広まると、2023年のアメリアアイランド・コンクール・デレガンスに2号車と3号車も集結したものですから、アメリカ人の盛り上がりときたら最高潮に達したのかと。

画像: レース中のコルベットLM。追撃しているのはフェラーリ・テスタロッサ59。残念ながら、この後の大雨でクラッシュを喫してリタイア。

レース中のコルベットLM。追撃しているのはフェラーリ・テスタロッサ59。残念ながら、この後の大雨でクラッシュを喫してリタイア。

そんなカニンガムの1号車ですが、子孫たちは売却を決断。別段、お金に困ってのことではなく、博物館的なオーナーに渡ることを希望しているようです。気になる指値は200万~250万ドル(約3億~3億7500万円)とアメ車としては破格のプライス。もちろん、これ以上の落札価格がつく可能性も非常に高く、世界中から熱視線が寄せられている模様。アメリカ人の魂のようなマシンですから、今後の動向にもぜひご注目ください!

画像: 3億円オーバーが予想される落札価格も気になりますが、レストア費用だけで約1億円が費やされたというのも驚きです。

3億円オーバーが予想される落札価格も気になりますが、レストア費用だけで約1億円が費やされたというのも驚きです。

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