知らない街、見たことのない風景、食べたことのない美食などなどドライブの醍醐味は「未知」にある。だから、たまにわざと遠まわりしたくなるのかも。今回も、できるだけたくさんの「道」を巡る素敵な遠まわりの思い出を、徒然なるままにご紹介しよう。三河から美濃、信濃へと向かう歴史と民俗を感じる旅も、今回で最終回。「後編」は、恵那市から竹折、明智を抜けて弁慶杉に邂逅するまでの、かなりトリッキーなコースを行く。

気持ちよく走ることができる418号線

恵那市内にも大井宿の本陣跡など見所はいくつかあるのだが、今回は先を急ぐ事にして国道19号を少し西へ下り、竹折で国道418号に入って南下を開始。目指すは明知鉄道の終点駅、明智である。

今回のツーリングでは「なんとかスカイライン」とか「どこそこパークウェイ」みたいなメジャーな観光道路は一つも通っていないけれど、この国道418はそういった道路に匹敵するくらいの良質なワインディングだった。適度な起伏を伴った中〜高速のコーナーが連続するのだが、集落があまり無いため交通量が少なく、しかも舗装状態も良いのでとても気持ちよく走ることができた。

画像: トップの写真が、明智駅。恵那発で、約25kmを走る明知線の終着駅である。

トップの写真が、明智駅。恵那発で、約25kmを走る明知線の終着駅である。

明智町は、大正時代の古い町並みが残っている事から、町おこしとして全体を「日本大正村」というテーマパークにしている。資料館など入場料が必要な施設もあるものの、古い町並みを歩くだけでも楽しいし、村役場や古い家屋など無料で内部まで公開している建物も多い。僕もクルマを駐車場に止めて小一時間ほど散策して回った。

画像: もともと大正時代を思わせる古き良き時代の街並みが続く、情緒あふれる街だったそう。

もともと大正時代を思わせる古き良き時代の街並みが続く、情緒あふれる街だったそう。

画像: 「大正村」の村役場。街全体がテーマパークなのだ。ちなみに初代村長は高峰三枝子、二代目村長が司葉子、三代目が竹下景子である。

「大正村」の村役場。街全体がテーマパークなのだ。ちなみに初代村長は高峰三枝子、二代目村長が司葉子、三代目が竹下景子である。

画像: 村には、大正時代の雰囲気を残した店舗、資料館、博物館が保存されている。写真の「大正浪漫館」のほかに、日本大正村資料館、大正時代館などの施設が見どころとなっている。

村には、大正時代の雰囲気を残した店舗、資料館、博物館が保存されている。写真の「大正浪漫館」のほかに、日本大正村資料館、大正時代館などの施設が見どころとなっている。

スリリングなコーナーが続く「瑞浪上矢作線」

明智で早めの昼食を終えて、県道33「瑞浪上矢作線」を東に進む。ところがこの道が凄かった。舗装はされているものの、部分的に道幅が極端に狭く、カーブも非常に急なのだ。そんな道なので対向車にこそ会わなかったものの、時折「どこそこの区間、工事のため通行止め」という表示が出現し、書かれている地名がどこなのか分からないので、国道257に抜ける最後までヒヤヒヤしっぱなしだった。

昨日も走った国道257を再び1.5kmほど北上し、上村川の下村ダムから国道418に入る。上矢作町で国道から離れて、大船山の山頂付近を目指して駆け上がって行く。この先にある大船神社には、樹齢2500年、日本の巨木第7位という「弁慶杉」があると聞いていたので、それを見たかったのだ。

ところがこの大船神社に至る道も凄かった。舗装されているものの、鬱蒼とした杉林の中を抜けているため雪で落ちたと思しき杉の小枝が路面に厚く堆積している。クルマを傷つけるような硬さではないものの滑りそうだし、昼なお暗いこの道はかなり緊張感が高まる。しかも片道6km以上も続くのだ。何とか走り切ったが、大船神社は普段は無人らしくひっそりとしているし、駐車場の整備もない。林道脇にクルマを止めて、そこからさらに小高い山を登って弁慶杉を探した。

画像: 拝殿の裏の方にようやく発見し、再びクルマまで山道を下ったら、完全に息が上がっていた。これだけ苦労して見た弁慶杉そのものも何だか微妙な感じ。高さは40m、樹齢は推定2500年だという。復路の下り6kmがさらに身にしみた。

拝殿の裏の方にようやく発見し、再びクルマまで山道を下ったら、完全に息が上がっていた。これだけ苦労して見た弁慶杉そのものも何だか微妙な感じ。高さは40m、樹齢は推定2500年だという。復路の下り6kmがさらに身にしみた。

弁慶杉の伝説

良弁の弟子の弁慶が植えたという説の他に、文治(1185〜1189年)の頃、源義経主従が奥州下向の折、大船寺の本尊に祈願した時、弁慶が杉の小枝を折って「この願いむなしからずんば、この枝生い栄えよ」と地にさした。この枝が繁茂って今の弁慶杉となり、義経主従は本尊の加護により無事奥州の平泉へ下ることができたと伝えられている。(恵那市教育委員会)

国道418に戻って再び東に向けて走り出す。どこかで大規模な工事でもやっているのかダンプカーの姿が多いが、それらは国道を行かずに県道101に迂回している。その理由が国道418を進んで行って分かった。国道と言いながら、この道もまた狭くて急カーブの多い難所なのだ。岐阜県のこの地域の山間部は、道路整備がかなり遅れている様子だ。

画像: スリリングなコーナーが続く「瑞浪上矢作線」

その証拠に、五軒小屋という地名を過ぎて恵那市から長野県平谷村に入った途端、道幅は広くなり路面も確実に良くなった。このように行政区が変わると道路も変わるのは地方に行くとよくある事なのだ。平谷の交差点で国道153に左折。この三洲街道も今は極めて快適なルートで、難所の治部坂峠には立派なスノーシェルターが設置されている。一気に飯田市まで下り、飯田山本ICから中央自動車道にて帰路に着く。2日間で走行距離は約850kmに達していた。

名物にうまいもんあり……「えなハヤシ」と「菊ごぼう」

画像: 明智町の昼食は、恵那市のご当地グルメ「えなハヤシ」。特産の寒天や豚肉を使ったルーが自慢だ。ちなみに恵那は、「ハヤシライス」の考案者にゆかりがある土地柄なのだとか。岩村藩の藩医から横浜の病院長を務めたひとりの医師が、患者のために滋養豊富で美味しく、簡単にできる料理として考えつき、明治初期にかけて評判になったのだという。ちなみにその医師の名が、早矢仕有的(はやし ゆうてき)だった。

明智町の昼食は、恵那市のご当地グルメ「えなハヤシ」。特産の寒天や豚肉を使ったルーが自慢だ。ちなみに恵那は、「ハヤシライス」の考案者にゆかりがある土地柄なのだとか。岩村藩の藩医から横浜の病院長を務めたひとりの医師が、患者のために滋養豊富で美味しく、簡単にできる料理として考えつき、明治初期にかけて評判になったのだという。ちなみにその医師の名が、早矢仕有的(はやし ゆうてき)だった。

画像: 「菊ごぼう」は、飛騨・美濃地方の伝統的な山菜で、地域によっては山ごぼうと呼ばれることもあるらしい。とはいえ実はアザミの一種の根っこで、独特の風味と香りが特徴で、漬物などで食べるのがスタンダードだそう。

「菊ごぼう」は、飛騨・美濃地方の伝統的な山菜で、地域によっては山ごぼうと呼ばれることもあるらしい。とはいえ実はアザミの一種の根っこで、独特の風味と香りが特徴で、漬物などで食べるのがスタンダードだそう。

旅の供:60周年記念モデルは2017年9月まで

画像: スカイライン60周年記念の特別装備は、室内をスポーティに引き締めるブラックルーフトリム、より上質でデザインも豪華なセミアニリン本革シート、木目の美しいオープンポアウッドトリム、マットブラッククロームフィニッシャーなど。2017年の9月まで受注を受け付けている。

スカイライン60周年記念の特別装備は、室内をスポーティに引き締めるブラックルーフトリム、より上質でデザインも豪華なセミアニリン本革シート、木目の美しいオープンポアウッドトリム、マットブラッククロームフィニッシャーなど。2017年の9月まで受注を受け付けている。

遠乗り案内人:石川芳雄

画像: 案内人 石川芳雄 自動車評論家。日常生活と密着した実用的で楽しい乗り物としてクルマをとらえ、さまざまな目線からその魅力を語ってくれる。自動車専門誌「モーターマガジン」(毎月1日発行)では、ロングツーリングで旅の楽しさも伝える「日本自動車紀行」を不定期にて連載中。行き先からコース設定まで、お任せ! で安心できる「遠乗りの達人」である。日本カー オブ ザ イヤー選考委員。

案内人 石川芳雄
自動車評論家。日常生活と密着した実用的で楽しい乗り物としてクルマをとらえ、さまざまな目線からその魅力を語ってくれる。自動車専門誌「モーターマガジン」(毎月1日発行)では、ロングツーリングで旅の楽しさも伝える「日本自動車紀行」を不定期にて連載中。行き先からコース設定まで、お任せ! で安心できる「遠乗りの達人」である。日本カー オブ ザ イヤー選考委員。

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