イベントの模様とともに、トヨタ2000GTというクルマを振り返ってみよう。
過去50年、次の50年、時代を超越した美しさ

トヨタ2000GTの誕生50周年を記念するイベントが、トヨタの自動車文化発信源となる東京・お台場エリアのメガウェブで開催された。
2000GTは、1967年5月から70年10月までに総計337台が生産され、うち218台が日本市場向けとして販売されている。ちなみに現存率は90%程度と見られるから、極端な表現をすれば、今回のイベントには日本中にある2000GTのおよそ1割が集まったことになる。

往年のトヨタワークスドライバーである細谷四方洋氏を中心に、2000GTオーナーズクラブ員とその家族の方々による記念写真。

この日集まった19台の2000GT。1台でも見入ってしまうが、これだけの台数になると実に壮観。しかも1台ずつ異なる点が興味深い。
日本のモータリゼーション創成期に、自社技術力のステータスシンボルとなり、国際基準でも十分以上に通用する上質で高性能なGTカーが欲しいと意図したトヨタが、ヤマハとの共同開発で作り上げたモデルであることはよく知られるとおり。
注目すべき点は、当時の日本メーカーにとってまったくノウハウがない未知の領域であったにもかかわらず、具体的なプロジェクトの立ち上がり(65年)から市販化(67年)まで、ほぼ2年間という短期間で開発作業を済ませたことだろう。

施設内のミニ周回コースで同乗走行も行われた。静止状態でも見応えのあるモデルだが、排気音を響かせて走る姿はなお美しかった。

参加車両をオーナーそれぞれに語ってもらう「愛車自慢」のコーナーも。聞けば由緒来歴のある車両が次から次へと登場し、ただただ驚くばかり。
その秘密は、モーターレーシングへの参画にあった。市販前にレースで使われた、というのは2000GTの来歴を紹介する際によく使われる文言だが、実際には極限の性能が要求されるレースに臨むことで、性能の向上と安定化を図ることがその狙いだった。当時モーターサイクルの世界では、すでに世界のトップレベルに位置したヤマハならではの発想だった。
こうした強い目的意識があったため、選んだレースは長距離耐久系のみ。富士/鈴鹿での1000km、鈴鹿12時間、富士24時間と、当時の車両にとっては厳しい環境のレースだった。

記念すべき50周年記念の挨拶を述べるトヨタ2000GTオーナーズクラブジャパンの瀬谷孝男会長。
結果的に、落としたのは67年の鈴鹿1000kmのみで、これ以外のレースではすべて総合優勝を獲得。トヨタ スポーツ800を真ん中に挟んでチェッカーを受けた富士24時間レースのゴールシーンは、2000GTを象徴する名場面のひとつとしてあまりに有名だ。
通常の開発試験では想定できない過酷な走行条件を経験したことが、2000GTの高性能化、熟成化に大きく貢献した。

1967年の富士1000kmゴールシーン、雨中でチェッカーを受ける細谷四方洋/大坪善男組のトヨタ2000GT。
このことは66年10月に谷田部試験路で行ったスピード記録挑戦会(78時間走行で3つの世界記録、13の国際記録を樹立)も同様だったが、実際には、イベントに臨む前の準備段階に大きな意味があった。
試験走行で問題点が発覚し、その対策を施すことで本番の結果が得られるという、好循環の開発構図が出来上がっていた。

トヨタ博物館に展示されているトヨタ2000GT速度記録挑戦車(レプリカ)。

スピード記録会に挑戦したドライバー、細谷四方洋氏もイベントに登場。

スピード記録会に挑戦したドライバー、津々見友彦氏もイベントに登場。

スピード記録会に挑戦したドライバー、鮒子田寛氏もイベントに登場。
性能ではなく、トヨタが狙いとしたもうひとつの企画意図、ステータス性の確立については、映画007シリーズのボンドカーとして採用されたことでも証明されるだろう。サンビーム・アルパイン、ベントレー・マークIV、アストンマーティンDB5に続く4世代目の車両で、日本がロケ地となった第5作「007は二度死ぬ」でトヨタの手により製作されたオープンモデルが使われた。
世界に向けたPRという意味では、これに勝る舞台設定もなかっただろう。

映画で実際に使われた2000GTのボンドカーは、トヨタ博物館に展示されている。

第3回日本GP時の細谷四方洋車(左)、米SCCAシリーズを走ったキャロル・シェルビーがプロデュースした車両(右)のレプリカ仕様も参加。
それにしても、現在目にするこのフォルムが50年前のデザインだとはとても思えない。コンピュータ解析による現代の好燃費指向(=環境性能)デザインが、果たして50年後の目にはどう映るのだろうか?
50年後には100年目を迎えるトヨタ2000GTだが、このクルマが持つ人間の感性に従う機能美や造形美は、時代が変わっても不変だろうと思わせる。それほどに美しいクルマ、と改めて感じた1日だった。
(文と写真:大内明彦)